THE長文日記

長文とか短文とかのクレームは一切受け付けません

そろそろ技術書典についてひとこと言っておくか

なんていう偉そうな話でもないけど。


技術書典、僕が最初に行ってみようと思ったのは、秋葉原で開催されたときである。
しかし雨の降る中の長蛇の行列にひるんで諦めてしまったのである。


そんな我が社も今回で技術書典のスポンサー2回目
NHKにも珍しく会社名つきで取り上げられたのでそろそろ一言言っておこうかと思う

www3.nhk.or.jp


毎年夏と冬のコミケに参加して、「やはり技術経営者たるものコミケに行かないとはけしからん」とい思いを強くする一方で、主にファミリー的な事情で「毎年毎年、お盆も大晦日も実家に帰ってこないでアンタって人は!」と全方位から針のムシロで後ろ指を指されたりするのも、果たして20年もそんな生活を続けていると馬耳東風といった趣があり、やはりコミケにいかないなんて信じられない、と思ったりするのである。


僕がコミケが素晴らしいと思うのは、その名に反して、コミックだけでなくなんでもあるということ。それこそ自分ちの猫の写真集だとか、鉄道の写真集だとか、およそ書店の流通には乗らないほどニッチな、それこそ数十部から数百部頒布できたら御の字という、そのコミケの素晴らしさというのは、なにものにも代えがたい。


当社は10年以上前からコミケのサークル参加準備、および参加のための有給休暇を認めているが、世の中にはコミケに行くために休むというと嫌な顔をする会社もあるらしい。信じられないことだ。コミケに参加するのは基本的人権で保障されていると考えるべきである。


そして多種多様ありとあらゆる趣味のジャンルを網羅するコミケにも、当然、コンピュータ関連のジャンルがある。
これがまた濃い。


濃いのだがしかし、あまりに濃いわりには面積が少ない。
そもそもコミケはただでさえサークル参加希望者が後を絶たず、毎回抽選になっているので、当然、コンピュータ関連のサークル出展というのも限られるのが現状だ。


コミケで出会った人たちは数知れない。直接ではないが、20年来の盟友、布留川英一ともコミケがきっかけで知り合い、今に至るまで一緒に働いている。


出会いの場であり交流の場であり、いつどのブースに行っても「ほう、こんな趣味があるのか」という新しい驚きと発見に満ちているコミケに、僕は毎年できるだけ全日フル参加しようと思っている。今年の夏コミは出張と重なって無理だったが、冬コミには必ず行くつもりである。


さて、コミケが素晴らしいのは当然だが、その中でもコンピュータ関連のブースの熱量と、それに比較して割り当てられているサークル枠の少なさのギャップは異常ですらあると思う。


それを一気に解決したのが、技術書系オンリー同人イベント、「技術書典」なのである。


「ほう、そうか。そういうイベントをアキバでやってるのか」と思って、自宅からてくてくと歩いてアキバに迎うと、雨だというのに信じられないほどの行列があり、初回はくじけた。朝だぜ。だって。


秋葉原朝から並んでいるものといえばAKBファンとパチンコユーザーくらいしかいないと言われていたのに、こんな雨の日に出不精のテッキーどもを何時間も並ばせるとは。この光景をみて僕は率直にいって日本の底力を予感せずにはいられなかった。


僕は最初から商業誌デビューした商業作家である。本を書いたことは何度もあるが、同人誌は一度もない。だからこそ同人誌への憧れがずっとある。


商業誌というのはどうしても「最低3000部は売れないと企画化できない」という制約がある。そして口には出さないが「あわよくば1万部、いや、3万部・・・それで中古のマークIIを買って、回らない寿司屋で中トロを食って・・・」と考えているのが作家というものである。拝金主義と笑いたくば笑え。これが生活に切実に結びついていた20代の頃などは、書籍の仕事が入ってきたお祝いにマクドナルドでバリューセットを食べる、程度の浮かれようだったのだ。


そして一度商業誌に書いてしまうと、その癖がなかなか抜けず、ついどうしても「1万部狙い」の企画しか思い浮かばなくなる。これはもう全く、どうしようもないことだ。


しかし同人誌は何が素晴らしいのか。
「書きたいことを題材として、書きたいように書かれている」   これに尽きる。


たとえば長らくUEIのインターンとして所属していた坂口和彦くんというのがいて、彼は定理証明支援系言語や自動証明器といった分野に多大な興味を寄せていた。彼は毎回コミケにあわせて本を書いていたが、その内容は僕にはちんぷんかんぷんだった。


しかしもっとびっくりすることは、彼の本は毎回完売するのである。


商業誌ではあり得ないことだ。
毎回毎回、定理証明支援系言語の同人誌を刷っては完売して「清水さんのために一部取っておきました」とこともなげに言うわけだ。


そして書かれた本を渡されても、正直なにを言ってるんだかぜんぜんわからない。ほとんど論文なのである。



よく「深層学習の英語論文が苦手で最新の技術についていけない・・・」などと泣き言を言う人がいるが、日本語で書いたらお前は読めるのかと問いたい。日本語で理路整然と無矛盾に書かれていても、これほどちんぷんかんぷんな知識というのが世の中には大量にあるのである。これに比べたら、たいていの英語論文は中学生の作文のようなものだ。


技術書典が素晴らしいのは、こういう世界があることを伝え、交流する手段を与えてくれることだ。
今回は残念ながら法事(これもファミリー行事だが直系の祖母の一周忌なのでどうしても断れなかった)と重なってしまい現地にはいけなかったが、お願いして買ってきてもらった戦利品の表紙を眺めているだけでも楽しくなってくる。


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いい意味で媚びてない。
そしてたいていの本が薄いので読みやすく要点だけがまとまってる。これも同人誌の利点だ。




商業誌は「ツカ」がないと売れない。
「ツカ」というのは、ようは厚みである。
背表紙がちゃんと読めるようにある程度のボリュームを持たせなければ流通に載らないのだ。


それは書店の面積が限られているため、全ての本を平置きできないためだ。


しかしコミケや技術書店ではたいていの本が平置きされている。
そう、書店の技術書のコーナーが全て平置きされていたら、と想像してみてほしい。しかもその2から3冊ごとに、著者や関係者と直接話しをして買うことができるのだ。そんな素晴らしい場所は世界中のどこにもない。


平置きして売るから同人誌は「薄い本」でOKなのである。
そうして書かれた本の数々は、それぞれがめちゃくちゃ「濃い」


仮に「多少内容が薄いな」と感じたとしても、その向こう側に生身の人間の成長の過程が隠されていて、一人の人間が新技術を学んでいく過程を見るという意味では非常に意義深い。


なにより自分の知らない世界を垣間見れるという意味で、技術書典に並んでいる本を眺めただけでも、技術のトレンドの移り変わりがわかろうというものだ。


それに会社は技術書典に本を出そうという社員についてもっと大事にするべきだと思う。
今回反省したのは、自分で「よーし、次回はブース出させてもらうか」と言ったくせに執筆がぜんぜん間に合わなかったことだ。そして最終的にあまり技術的じゃない同人誌を書くことになってしまった。


時間の自由が利くはずの社長の僕がこんなに大変なんだから、社員に週末を潰して技術書典むけの本を書きなさい、というのは拷問だろう。


そこでもともと有休消化率の高い我が社だが、技術書典に限らず、コミケなどのイベント向けの本を書くために集中して連続5日まで休める執筆休暇という制度を設けることにした。商業誌、同人誌を問わない。実際、僕自身も一週間で一冊書けた経験があるので、それだけあればなにかしらのものはできるだろう。


僕自身ブログを書いているのは自分の考えを整理するためで、技術者が技術書を書くのは自分が仕事で学んだことを整理するという意味もあるから有効だと思う。


もちろん職業上知り得た秘密について書くのはNGだが、会社の機材(特にGPUなど)を使って行った実験なども書いていいことにしよう。


今はオープンソースの時代であり、技術者は交流と発信をすることによって育つ。
であれば、それを応援するのが最も簡単に技術者を育てる方法になるだろう。


ひとつだけ残念なのは、技術書典は毎回規模を倍増させているため、いつもめちゃくちゃ混んでることだ。
こればっかりはこの業界の会社がもっと技術書典の意義を深く理解してもっとスポンサーについて、広い会場を確保できるようにしてあげるべきだろう。


繰り返すがこんなイベントが成立しているのは世界広しといえども東京だけである。



海外に遅れをとってる、なんて言っていじけている人はここには一人もおらず、皆前向きで最先端の技術を自分のものとして習熟しようとやって気になっている技術者ばかりがこれだけの熱量で集まっているのだ。


そこが最高に素晴らしいし、東京のIT/AI企業はこぞって技術書典をバックアップするべきである。



今日の百俵の米を未来へ投資することで、明日の一万、百万俵を生む種になるのだ。


ギリアはこれからも技術書典を応援していきます