THE長文日記

長文とか短文とかのクレームは一切受け付けません

地球一周あと7日

なーんかあっという間だったなあ


これまでも何度か地球をぐるぐる回ったり、ヨーロッパをあてどなく彷徨ったりとか、いろいろやってなくはなかったのだが、今回はやったことがないことに挑戦したり、会ったことがない人に会ったり、実際にそこで暮らす人の話を聞いたり、とにかくやることが多くて時間があっという間に過ぎていく。


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特に今回の視察で大きかったのは、ヨーロッパの農業について学べたこと。ブルゴーニュ地方を訪問して現地のぶどうの収穫に立ち会ったのは非常に大きな経験だったし、他にもロボットを使って農業改革をしようとしている研究者に話を聞いたりしたのも、思いのほか参考になった。


また、様々な研究者と話をしたが、ディープラーニングに関して、特段どこが傑出しているということもまだなく、この分野に関してはまさしく全世界的に今が発展の途上にあることを確信できた。


中国脅威論とかあるにはあるのだが、深層学習を現実の仕事に当てはめる、という部分の社会実装においては日本も欧米もまだそれほど深刻な差があるわけではないように思えた。


深層学習に関しては、あまりにも応用範囲が広い技術であるため、「深層学習は凄い」という言葉は「自動車は凄い」と言ってるのに近い。



たしかに凄いが、自動車を構成する部品には、エンジン、給排気系、シャーシ、タイヤ、エレクトロニクスなどがあり、「TensorFlowが凄い」とかはシャーシに相当する。「NVIDIAが凄い」はエンジンに相当すると言えるだろう。この世界ではアルゴリズムはエンジンを制御するECUみたいなもので、細かい差異はあるが車の性能を劇的に変化させるほどの変化は起こしにくい。意味がわからない人は湾岸ミッドナイトを読んでくれ(ジェッティングの富永)。


そこにくると今僕が思っている感覚としては「深層学習は中国が凄い」という言葉のひとつは、「ECUのエンジニアが10万人いる」みたいなもので、たしかに凄いのだが、そこに決定的な差別化要素があるか、というとそこまで怖いわけではない。


誤解を恐れずにいえば、深層学習のアルゴリズムを理解することはそんなに難しくない。どちらかというと場数が足りないから勘所を掴むのが難しいだけである。そのために必要なのは論文を読むことよりもむしろ実際にGPUを動かして勘を掴むところだろう



もし警戒すべきものがあるとしたら、自動車をどのような目的で作り、どこにどのように走らせるべきかを考える仕事、自動車でいったら「乗用車」「トラック」「バス」「除雪機」「トラクター」「ダンプカー」「ショベルカー」「ブルドーザー」のようなカテゴリーを考える仕事だったり、実際にそれを使って何らかのサービス、例えば「宅急便」とか「乗合自動車(バス)」とか「移動型店舗」とかを作り出すところに大勢の人が集まってあれこれ考える状態であり、中国には深層学習を使える人たちの絶対的人口が多いので、ここもすごくなる可能性がもちろん高いのだが、そこに関してはまだ目立った成果は見えないように思える。



反面、シリコンバレーのベンチャーのここ最近のいちばん目立つ成果が、電動キックボードのレンタルサービスや、人間をパシリとして使って近所の食べ物を届けさせるサービスだったりとか、およそハイテクを活用するというよりも、人間がハイテクに活用されるサービスがもっぱら注目を集めている。あれ?ローテクになってないか?


面白いことに、BIRDだのLimeSだのの電動キックボードのレンタルサービスはベイエリアでは法律で規制され、むしろオースティンとかの田舎にいくとみんなが大喜びで使っている逆転現象が起きている。遭遇率としてはだいたいセグウェイと同じくらいだ。


パリでもBIRDやLimeSがあちこちあるが、僕の感覚としてはパリの人口に対してLimeSの数が少なすぎるし、アプリを頼りに20分くらい歩いてLimeSにたどり着いても、肝心のLimeS本体が見つからなかったことが続けて二度あった。どうもひとつは専門学校の近くでロストしていたので、アホな学生が学内に持っていってしまったりしてるんだろうが、そういうモラルの欠如した世界ではそもそも性善説を前提とするシェアリングエコノミーとは相性が悪い。電動キックボードそのものはとても良いけれども、運用は難しいのではないかと感じた。


今回、誰に会っても、「ニューヨークに住め」と言われたが、今回まわった都市の中ではニューヨークこそ最も住みたくならない都市ナンバーワンであった。


ボストンからクルマで三時間くらいかけて移動して、最初にハイウェイを降りたあたりがハーレムという有名なスラム街のど真ん中だったこともあるが、とにかく危険と隣合わせすぎる。マンハッタンの南の方にいけば平和な空気が流れてなくもないが、テロとか犯罪とかを警戒して生きる人に敢えてなるというのは難しいのではないかと感じる。


テロや犯罪の危険、という意味ではロンドンでもパリでも同じ程度の緊張感がある。こっちの人たちは常に何らかの怒りを抱えた集団が闊歩していて、今日もパリの5区あたりで真っ昼間から半裸でブブゼラを鳴らしている輩に絡まれそうになったり、ルーブルでは朝っぱらからロマ族の一段に絡まれ、白昼堂々リュックを盗まれそうになってやむなく大声で威嚇するなど、緊張感と隣合わせの行程だった。


ボストンでもロンドンでも警官が日常的にサブマシンガンを携行していて、もはや拳銃の制圧力では無力だと思われている程度には危険度が高いのだな、と想像することしかできなかった。実際、去年もド派手なテロが起きてるし。パリでは今年の5月に無差別殺傷事件が起きてる。ちょうど滞在してるホテルのすぐそばだ。



全体として、ニューヨークは一番住みづらそうではあったが、英語の訛りへの寛容さという点ではニューヨークが一番であり、それは唯一僕でもなんとかやっていけそうだ、と感じられるポイントだった。ロンドンでは英国流の発音ができないとわざと聞いてないふりをされたり、パリではそもそもフランス語訛りの英語が聞き取りづらいのと、英語を喋ってくれる人がそもそも少ない(フランス人は伝統的にイギリスが嫌い)のに辟易した。


「ニューヨークかパリに住みなよ」と冗談のように言われていたのだが、なぜそんなことを言われたのか理解を深める機会にはなったと思う。


個人的には、家は住みやすいニュージャージーにしてオフィスをマンハッタンに構えるのが現実的な気もするが、現地の人たちの感覚がいまいちつかめない。それは埼玉の上尾あたりに住んで都内に通うみたいな感覚なのか。それとも神奈川県の川崎から都内に通う感覚なのか。まあどっちでもいいけど。


あと、今回いろいろな人と話しをして、一番大事だと思ったのはSF的教養である。
僕は昔SF作家になりたいと思っていた時期があって、SFは修行のようにずっと読んでいたのだが、そうしたことが実はとても重要だったことに今頃気づいた。


SFの多くは絵空事ではあるが、真実か、それに近いことがほんの少し以上は含まれていないとSF的作品とは見做されない。特に有名な小説や映画はそれが面白いとか面白くないとか以前に、見ておかないと会話ができない。スターウォーズはSFか、という話は置いておくとして、たとえば「ジャービスのようなAI」と言われて、ジャー・ジャー・ビンクスしか思いつかないのでは会話にならない。銀河ヒッチハイクガイドは、この世界におけるロミオとジュリエットのようなもので、アシモフのロボットシリーズや銀河帝国興亡史を読んでおくことは、arxivの論文を漁ることよりも時として重要な洞察を与えてくれる。


教養というとえらそうだが、要は「共有するイメージ」を持っているか、というのが話を何倍もらくにする。


「執事のように仕えてくれて、たまに小粋なジョークを飛ばすAI」という説明をせずに「ジャービスのようなAI」と説明したほうがずっと効率的にイメージを伝えることができる。


前者の説明だと「それはAlexaやSiriでいいのでは」という反論もあり得るが、「J.A.R.V.I.S.やTARS、KITTとAlexaやSiriやGoogleアシスタントの違い」はそれを知ってる人なら一発で理解できるイメージだ。


これを議論するだけでも価値がある。


この業界では、偉い人ほどSF作品を熟知している。
ニール・スティーブンスンのスノウ・クラッシュがなければ「メタヴァース」という言葉は理解されなかったし、キリスト教的(というよりもアブラハムの宗教的というべきか)イメージとコンピュータの基礎理論のイメージを重ねるというイメージも伝わりづらい。


特に人工知能という分野は、理論よりもむしろフィクションのテーマとして遥かな過去から繰り返し用いられてきたモチーフである。


それを知るメリットとして2つの側面がある。
第一に、SF的作品に登場する人工知能、またはそれに近しい知性体は、人間が抱く「理想のパートナー」を定義し、それが実際に理想的であるかどうかの思考実験の過程と見做すことができる。


たとえばアシモフの「ロボット三原則」はロボットの人工知能(作中では陽電子頭脳)に人間が求めるべき要件定義とその思考実験である。「ロボット三原則」に関しては「われはロボット」があまりにも有名であるが、この短編だけを読んでも「ロボット三原則」への考察は十分ではない。


アシモフのロボットシリーズを全て読み、銀河帝国興亡史を全て読み、最後にその2つを統合する「ロボットと地球」を読んで初めて「この三原則は役に立たないダメ原則だ」と類推することができる。もちろんどこがダメで、どこがそうでもないのかもわかる。


第二に、さまざまな作品に登場するさまざまな人工知能のイメージと、現実の人工知能技術を比較して、「あと何が足りないのか」を想像するきっかけになる。


現状の人工知能技術によって作られたものが、過去のSF作品のどの人工知能にも及ばないポンコツであることは関わっている人間には当然の事実である。


では一体、あとなにが足りないのか?
それを考えるのはとても大事なことで、「人々が求める理想の人工知能」の姿がSF作品で描かれているとしたら、「現状はどこまでできていて、どこからできていないのか」を現状との比較によって把握し、研究の方向性を決めることができる。


しかもこうしたSF作品の多くは、世界共通の話題として使うことができる。
もし自分のいいたいことを英語で上手く伝えられなかったら、「この映画を見てくれ」と説明することができる。それは千の言葉よりも雄弁にイメージを伝える武器になる。


逆に、SF作品を知らないと、相手の言ってることが理解できない。


あ、その意味では今度ひさびさにゲンロンカフェで「男たちのトニー・スターク」というイベントをやるんだけど、そもそもトニー・スタークを理解するためにはハワード・ヒューズとウォルト・ディズニーを理解しておかなければならないことを知らずに「アイアンマン」を見ても、その面白さは半分も理解できない、と思う。いや、逆でもいい。「アイアンマン」を見た後で、ハワード・ヒューズとウォルト・ディズニーについて調べるのでもいい。明らかにこの二人はトニー・スタークのモデルであり、ハワード・ヒューズはトニーの父、ハワード・スタークのモデルでもある(でなければ発明家で大金持ちで映画監督という設定になるわけがない)。


男たちが語るトニー・スターク – ゲンロンカフェ


アメリカでは国語の時間にSF小説を読ませられるそうだ。でも読んでる本人たちはSFを読んでるという感覚がない。あたりまえのものとして読んでいる。1984とか。ちょうど我々が平家物語の冒頭を暗唱するようなものだ(いまだにあれになんの意味があったのか理解するのはまだ難しい)。


だからアメリカを理解するにはSFを理解する必要がある、のではないかと思う。


告知ついでにもうひとつ。
既報の通り、今週から毎週日曜あさ9時55分から、BSフジとFNN.jpでプログラミングとAIの教育番組「ちちんぷいぷいプログラミング」がスタートする。


アイドルの小池美由さんとエンちゃんの掛け合いが楽しいのでぜひ。



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UEIとフジテレビ、子供向けプログラミング&AI教育番組「ちちんぷいぷいプログラミング」を制作 9月9日より毎週日曜日に全国放送決定 - SankeiBiz(サンケイビズ)


さああと7日。まだまだ三カ国回らないとなんない。


え、まだそんなに!?
自分で書いてて驚いてしまった。


がんばろう