THE長文日記

長文とか短文とかのクレームは一切受け付けません

あの日見た名刺の名前を僕たちはまだ忘れない

その昔、僕がまだ学生と社会人の間くらいだった頃、とある政府高官に会った。
するとその人の名刺には名前しか書いてなかった。


メアドや電話番号はおろか、住所もない。
なかなか潔いのである。



とはいえ、その政府高官の名前を知っている人は当時でも少数派だろう。そもそもいまの日本の閣僚の名前をそらで言える人が日本人の人口の何パーセントいるだろうか。


しかしその政府高官は政治家ではないにも関わらず、僕らがまだ名もなきプログラマー少年だった頃、私財を惜しみなく投下して、僕たちの遊び場となる場所を作ってくれた人だった。彼は見返りなど期待しておらず、日本の未来のために投資したと本気で思っていたように思うし、実際僕らは見返りめいたことを返したことがない。


それっきり一度も会っていないが、ほかにも何人か、名前だけの名刺を持っている人は例外なくとてつもなく偉い人であったように思う。


偉い人の名刺の共通項というのは、とにかく名刺に名前以外の情報がないということである。良くて、連絡先が書いてあるくらいだけど、実際には本当に連絡がほしい場合は、その場で書き足されることが多いように思う。


それがいったいどういう意味なのか、当時はよくわからなかったが、今想像するに「礼儀として名刺は渡すが、連絡先を無制限には公開しない」ということなのだろう。肩書がないのは、肩書では語り尽くせないことに従事しているからだと考えられる。


中小企業の経営者ごときでは、まだまだ名刺から会社名や肩書を外すことはできないが、いつか僕も名前だけの名刺を持てるようになるのだろうか。


まあ持つのはいますぐにでもできるだろうが、それを人に渡す覚悟を自分が持てるか。
意外と、難しいのではないか。


たまに学生さんから名刺をもらうことがあるが、ほぼ例外なく自分の所属大学や研究室、もちろんメールアドレスも、場合によっては所属する学生団体やサークル、趣味、特技なんかも書いてあったりする。Twitterのプロフィール欄にもそれが言える。


肩書を全部取っ払って、自分の名前一つで勝負できるか。
僕は物書きでもあるので、本当は自分の名前一つで勝負できる、と言い切ることができてナンボなのかもしれないが、うーん、まだ難しいかな。