THE長文日記

長文とか短文とかのクレームは一切受け付けません

サッカーが好きだ

さて、サッカー部である。
もはや高校の同級生も忘れかかっているが、間違いなくサッカー部であった。


サッカーのなにが凄いか、前にもどこかに書いたかもしれないが、ワールドカップをみて思うところがあったので書いてみようと思う。


まず、サッカーの基礎的な話。

サッカーの基本ルールは驚くほど簡単である。
ボールを蹴り、相手のゴールに入れる。手を使ってはいけない。

各チーム一人だけゴールキーパーが居て、彼らはペナルティエリア内ではボールを手で触ることができる。

枠線からはみ出たら、最後に触った人の反対のチームがボールを投げ入れ(スローイン)たり、コーナーからキックしたり、ゴールからキックしたりできる。

基本的にはこれしかない。
たぶん野球よりも遥かに簡単だ。


あまり複雑なことを考えるのが得意ではなさそうに見えるアメリカ人の遊ぶアメリカンフットボールはこれより遥かに複雑怪奇で、なぜフットボールという名前になったのか疑問が残るほどだ。


日本でサッカーブームが巻き怒ったのは、まさしく僕が高校生の頃。Jリーグが立ち上がった頃だ。


それまでテレビで夜みるスポーツといえば野球しかなかった。
なぜ野球が日本でこれほどまでに愛されるスポーツになったのかといえば、テレビの影響が大きいのではないかと思う。


野球の場合、常にバッターとピッチャーの対決が繰り返される。
バッターの顔が大写しになり、ピッチャーの顔が大写しになる。背中越しにバッターとピッチャーの対決を見る、というのが、武蔵と小次郎の巌流島の決闘のような緊張感を手軽に演出する。


野球中継において、ボールの位置というのはよく見えなくても問題ない。
何度も繰り返し見ているとボールの跳ね返り方によってそれがヒット性のある当たりかどうか判別できるようになるが、それは本質的に大事なことではない。


これに比べるとルールが遥かに簡単なはずのサッカーがイマイチ下火だったのは、まず、誰と誰が戦っているのか画面からではよくわからないからだ。


さらにいえば、ボールをちゃんと追いかけないと何が起きているのか見落としてしまう。
テレビが小さい時代というのは、ボールなんか見えないから、野球が良かったのだ。


テレビの大画面化とサッカーの流行は微妙にシンクロしている。
大画面テレビや高精細テレビを買う主な理由として、サッカーの背番号だったりボールだったりを正確に判別したい、というモチベーションがある。


野球において重要なのは基本となる技だ。ピッチング、バッティング、送球、キャッチ、それらを反復して学ぶが、基本的に主役は常にピッチャーとバッターである。


ピッチャーになれる人は数少ないが、バッターは誰もがなれるので誰でも一度は注目されるチャンスがあるという点で野球は平等な競技である。


しかし究極、どうしても個人技の戦いになってしまう。


「チームワーク」とはいうが、野球で実際に「チームプレイ」が活躍する場面は極端に少ない。ダブルプレーやスクイズ、みたいな連携があるときくらいだろう。あとは人情である。まあこの人情もまた魅力があるわけだが。



サッカーの場合どうかというと、ドリブル、パス、トラップ、シュートという個人技はもちろん重要なのだが、それ以上に一瞬のチームプレイがいくつも積み重なることでしか得点できない。


たとえばオフサイドという(サッカーの中ではもっとも難しい)ルールが設けられているのは、まさにこの「チームプレイこそがサッカー」ということを地で行く。


バスケットボールにオフサイドのルールがあったら、たぶんゲームにならないだろう。
コートが狭いし、より危険だ。


でもサッカーにはオフサイドがある。それだけの土地の余裕があるし、かならずパスを出すときに相手の防衛ラインを超えて待機してはいけないというオフサイドのルールがあることでドラマを生むからだ。


本田がシュートを決めたとき、「やはり本田は持ってる」という言葉で褒められることには違和感がある。これはハンカチ王子が(運を)持ってるという話とは根本的に違うからだ。


野球よりもバスケよりもサッカーは頭を使うスポーツである。しかも選手個々人が頭を使ってポジショニングをしなければならない。自分の体力、走力、キープ力、突破力、そういうものを客観的に考えながら、味方の意図を読み取り、パスを回し、シュートに繋げなければいけない。


野球の「持ってる」というのは、基本的にほとんど完全に偶然だが、サッカーの「持ってる」は完全に個人の能力の賜物であると思う。


安全にパスを貰える位置に自分を置く、確実にシュートにつなげられる位置に走り込める。これは個人の能力であって運ではない。運だけで勝てるほど甘くない。本当に完全に運だといい切れるのは相手のオウンゴールくらいだ。


サッカーは好きだがサッカーゲームはイマイチ好きになれない。
いくつも遊んだが、あれはサッカーの本質を突いてない。多くの人にとってサッカーが、ボール中心のゲームに思われる原因になっていそうで実につまらん。パスをいかにもらうか、いかに美味しい位置に飛び込むか、ということがサッカーという競技の面白さの本質だと思う。


そういうマインドがなければ、いわゆるスーパープレイも成立しないわけで、サッカーゲームでセンタリング(クロス)を上げると、ちょうどい位置に味方がいて嫌になる。いや、そうしないとゲームになんないんだけどさ。


実際のサッカーのチームプレイというのは、本当にチームメイトと一種のテレパシーのようなもので接続されないと到底ムリである。


真後ろから飛んでくるパス。
真正面の相手が背中を向けたままこちらにスルーしてくるパス。


普段どんなに喧嘩していても、いがみあっていても、女をとりあっていても、ピッチの上では仲間として全幅の信頼を置いてパスを出し、すがるような思いでつないでいく。


トラップして、もたもた考えているとすぐに敵に囲まれる。苦し紛れにパスを出す。敵から逃れる。まるでそれがわかっていたかのように、そこに戻ってくるパス。それをさらに前方へ、オフサイドにならないことを確認してセンタリング。少し高めのボールを走り込んだ仲間がヘディングでシュートッ!!・・・キーパーがパンチング!・・・さらにボールの動きを読んで後方へ走る。同じことを考えていた敵MFと目が合う。負けない、ジャンプ、ヘディング、けど咄嗟のことでコントロールを失う。


こういうのはコンピュータにやらせたほうがマシなのである。


ロボカップというコンテストがあって、僕が大学生の頃に始まった。ロボットによるサッカーの世界大会だ。


これの進化の歴史とかを振り返ると実に面白い。



RoboCup 1997 Soccer Simulation Final


これは20年ほど前のロボカップのシミュレーションリーグ
この段階ではディープラーニングは出現していないのでまだ使われていない。ごくヒューリスティックな方法で実装されたロボット同士のサッカーである。


このシミュレーション自体も、ノイズを含んだ情報のやり取りがベースになっていて、めちゃくちゃ難しい。しかしちゃんとパスが通じているし、見どころもある。



RoboCup 2017 Soccer Simulation 2D Final


これが昨年のロボカップシミュレーションリーグの決勝。
めちゃくちゃ複雑なサッカーを展開していることがわかる。


シミュレーションだけでなくていろいろなリーグがあるが、見どころが多いと思ったのはこれ



RoboCup 2017 Final ER-Force vs. SRC


ロボカップ小型ロボットリーグは6台ずつ12台のロボットが実際に戦うリーグだ。
このリーグは上から見下ろすカメラの情報を使っても良いことになっている(だからマーカーが上部に刻印されている)。


そのおかげか、非常にサッカーらしい連携プレーやロングパス、ロングシュートが多く見られる。


ロボットの機構もさることながら、やはり頭脳で勝負するというのが実に面白そうだ。


というわけで、せっかく学校をやっているんだから、ロボカップへの出場を目指してチームを作ってみることにした。題して電脳サッカー部。まず第一の目標は来年のジャパンオープンへの出場である。出てみなければわからない。いやしかし本当にロボットを作るのか、それともシミュレーションでいくのか(それはそれで難しそうだ)、生徒さんたちと相談しながらやってみたい。


サッカーはやっぱりワクワクする