THE長文日記

長文とか短文とかのクレームは一切受け付けません

ラ・ラ・ランドを振り返る

 なぜか好きじゃないはずなのにラ・ラ・ランドのブルーレイを買ってしまって、ずっと開封していなかったのだが、やはり気になってまた見てしまった。もちろん一人で。鶏胸肉食いながら。これが男の休日だ。


 女子ウケ100%映画なのでいまさら内容について説明はいらないだろうが、やはり仕事を得たセブをミアがなじって言い合いになるシーンが心に刺さる。


 まあなんせ映画館で一回みただけで筋書きを全部覚えてしまうような強烈な映画だったので、見るのが人生で二回目にも関わらず、一回目では感情を揺さぶられすぎて見落としていた点が心に染みてきた。


 ミアの元彼は金持ちである。たしか弁護士で、その家族も上流階級の匂いをさせている。ミア自身もウェイトレスには分不相応なプリウスに乗っている(ハリウッドではプリウスがセレブに大流行した)。


 いっぽうセブは、ボロボロの車に乗って、レストランのピアノ演奏で糊口をしのいでいるような頑固者だ。


 本来、とても釣り合いがとれない。
 

 ミアが母親に心配させまいと「彼氏は金持ちじゃないけど貯金していてお店を出すつもりだから」と電話で嘘をつく。それを聞いてしまったセブは、この生活から抜け出すためにクラシック・ジャズに拘る自分のポリシーを曲げて、前衛的なジャズ・バンドのピアニストとして活躍する。


 セブはこれでちょっとした金も名声も得た。しかしツアーで全米を回るので二人は出会えない。やっと会えたと思ったら、ミアは「あなたはあんな音楽がやりたかったの?」とセブをなじる。


 ここが染みる。つらいのだ。


 「おれのジャズバーなんか絶対にうまくいくわけない」


 「あなたほどジャズを愛する人が作る店が成功しないわけがない」
 

 ミアは無責任である。セブにはそもそもその金がないのだ。だから自分の趣味にあわなくても、前衛的なジャズバンドの仕事を選んだのだ。やっと掴みかけた成功に、ミアが水を差しているように思えて、セブはつい言ってはいけないことを言ってしまう。


 「おれを見下していれば安心できるから付き合ったんだろう」


 もちろん本心ではない。
 でもこの自虐は二人の間に決定的なミゾを作ってしまう。


 その後、ミアは大逆転し、セレブの仲間入りをする。


 ロスに残ったセブは、念願のクラシック・ジャズを中心としたジャズバーを成功させる。
 偶然その店にたどり着いたミアは、そこが自分がセブに提案した名前の店であり、セブがささやかな成功をおさめたことを知る。もし、あの頃、なにもかも全てうまく行っていたら、という想像がミアの胸に去来する。


 ここが今作のクライマックスなのであるが、おそろしく虚しい。
 そんなことを今から想像してもまったく無意味なのだ。ミアはどこかの金持ちと結婚し、子供がいて、成功者として知られている。セブはささやかなバーの経営者として成功している。


 セブとミア、両方の夢が実現したのに、二人の恋は実らないという虚しさ。
 この虚無感が、今作最大のテーマだろう。


 この作品が若い女性にバカウケしていた、という事実はいろいろと考えさせられる。
 ミュージカルとしてはもちろん楽しいし、画面は美しい。


 目が大きく手足が細く長いミアはまさに女性の理想像そのものなのかもしれない。貧しいが長身でやさしげなセブも、典型的な王子様像とは異なるが、身近に感じられる好青年である。


 映画の結末で、ミアは人のうらやむあらゆるものを手に入れる。地位と名声、リッチな旦那とかわいい子供。そして大きな家。一方、セブが手に入れたものは、画面の中からわかる情報は、ささやかなジャズバーの成功だけだ。


 この映画があざといと思うのは、男からみるとセブが手に入れたものはミアに比べてあまりにも少なすぎるように思えるところだ。


 これが男目線では悔しいので僕は初見で拒絶反応を感じたのだが、女性にしてみれば、仮にそれが本当のことであったとしてもその時点のセブに若くて綺麗な彼女がいたりとか、セブの車がボロボロのオープンカーからフェラーリに変わったりだとか、たぶんそういうところは見たくない。元カノのミアにとってはどうでもいいことだ。


 敢えて描写しないことで、純粋な「夢の実現」に注目させたかったのだろう。


 敢えて、おれはセブはあのジャズバーの成功の裏側で、男の欲しがるものを全て手に入れたのだと妄想しようと思ったが、それはそれでかなり無理があるし、やはりそれは好ましく感じられないので、やはりセブは出家した僧侶のように、彼女がいないままジャズバーを経営し、いまだボロボロのオープンカーに乗って、しみったれた安アパートに住んでいるのが良いのかもしれない。


 しかしなんだろうな。男の欲望のままに成功すると映画の中ではたいていの人はろくでなしになる。実際のハリウッドセレブがやるような生活を手に入れる映画の主人公はほとんど居ない。


 インディ・ジョーンズはいくら財宝を発見してもしがない大学教授のままであり、古畑任三郎はいつまでも警部補であり、イーサン・ハントはいくら不可能な作戦を実行したとしても階級が上がっている感じはしない。映画の中にたまに成功した人間が出てくると思うとだいたい悪役である。バック・トゥ・ザ・フューチャー2のビフ・タネンとか、マトリックス・リローデッドのメロビンジアンとか。


 結局、男はささやかな成功を収めたとしてもボロボロのオープンカーに乗って、しみったれた安アパートで暮らすしかないのだろうか。


 休日の夜にワンルームの部屋でそんなことしか考えることがないんだから、おれもたいがいしみったれてる。


 ドラマ「半沢直樹」のにイマイチ悲壮感がないのは、やっぱりどんなにドン底にいるように見えても、家に帰ったら上戸彩がいるという状況だろうな。もういいじゃん。上戸彩だけで。いいよ大和田とかどうでも。


 せめて、せめてセブには可愛い彼女が居て欲しい。でも居たら居たで女子勢のブーイング待ったなしだろうな。つらい。セブに幸あれ