THE長文日記

長文とか短文とかのクレームは一切受け付けません

シニアの方々に、これからの人工知能を解く・・・何を話せば・・・

基本的に講演のたぐいは断っている。きりがないのだ。


しかしなにかのしがらみで、シルバー大学というところで講演することになった。
銀の大学ではなく、シルバー世代のための大学、という組織である。



このシルバー大学の事務局の方が非常にマメな方で、何ヶ月も前から繰り返し少しずつなにかの進捗を送ってきてくださる。


「おじいちゃんたちは下手すると寝ちゃうのでせめて目次をください」と言われたので、普段の清水ルールでは絶対に事前の資料配布は断るのだが、まあ相手がいくら老人だろうが話の途中で寝ちゃうとすると弁士としての沽券に関わるので、とりあえず目次だけは書くことにした。


しかしこれが難しい。
普段、僕が話す相手は中高生か大学生、せいぜい40〜50代であって、「AIによってこれから世の中はこうなります」と解くのである。


そのなかには当然、「ガンを克服するかもしれません」「余命が伸びるかもしれません」という話も入るわけだけれども、ちょっと待て。それを今のシルバー世代に言うのは少々残酷ではないか。


僕自身、年代的にはAIがガンを克服する前にガンで死ぬかもしれない。
AIにガン細胞を見分けさせる研究をやってはいるが、その途中で死ぬ可能性は、僕がガンを克服する方法を見つけるよりもずっと高いだろう。


実際、ガンで死んだ同級生もいる。
お年寄りとなれば、それはもっと実感として、僕とは比べ物にならないくらいのリアリティを持っているだろう。なんなら一回ガンになって、手術でなんとか生き延びてる人のほうが多そうだ。そういう人たちに果たして無邪気に「これから不老不死が実現するかもしれません」と言うべきか。


我ながら、さすがにそこまで能天気にはなれない。


では一体全体、お年寄り達は何を知ろうとして僕の講座を受けに来てくれるのだろうか。


AIの恩恵を受けるかどうかわからない人たちに向けて、僕はどんな語る言葉を持っているだろうか。


これは意外と、簡単なようで居て難しい。
この問いを自分に投げかけたとき、この仕事を引き受けてよかったと思った。


あなたの人生の物語 (ハヤカワ文庫SF)

あなたの人生の物語 (ハヤカワ文庫SF)


映画「メッセージ」の原作、「あなたの人生の物語」は、名作である。
でも、「メッセージ」よりも、「あなたの人生の物語」という言葉の方がずっと心に響く。
内容についてはネタバレになるので言及しないが、この物語が特に素晴らしいというわけではない。


ただ、このタイトルは、とても秀逸だと思う。



トップをねらえ2の最終話のタイトルも、これを引用した「あなたの人生の物語」なのだが、ストーリーとしてはこっちのほうがずっと心に響く。ただしこの話の良さがわかるためには、トップをねらえ1と2の全話を見る必要がある。


人は生まれ落ちたあと、必ず老い、そして必ず死ぬ。
それが人類が数万年もの間、繰り返してきた摂理なのだ。


AIが産まれたとき、それは人の人生にどのような影響を与えるのだろうか。
それを知るためには、AI以前のテクノロジーが人の人生にどのような影響を与えたか振り返る必要がある。


たとえば写真だ。
写真が発明されたことで、人間は亡くなった人物の生前の姿を知ることが出来るようになった。
偉人はもちろんのこと、自分の曽祖父、そのまた祖父といった、生まれるとうの昔になくなった人々の記憶が残るようになった。


もっと重要なのは、出版物である。
出版物によって、人は自分の考えや思いを、自分の寿命よりも遥かに長く残せるようになった。


いつか僕が死んでしまっても、僕の著作は残るだろう。紙の本として、電子書籍として。僕が生きた証が、そこに残っていく。


その前は、組織である。
人は会社や学校、家族や国家などの組織体を作ることによって、自分の考えを残すことができるようになった。


福沢諭吉がいい例だろう。
彼は言葉として本を残し、ミームの継承体として慶應義塾を残した。


明治期に活躍した偉人といえば、岩崎弥太郎もそうだろう。彼は三菱を残した。
井深大はソニーを残し、本田宗一郎はHONDAを残した。


トーマス・エジソンはジェネラル・エレクトリックを。ベンジャミン・フランクリンはアメリカ合衆国を、アイザック・ニュートンは微積分法を、残している。


こうした組織や思想が受け継がれていくものを広告屋はよく「DNA」と呼ぶが、実際には「ミーム」と呼ぶのが正しい。DNAは生物学的な遺伝子であり、ミームは文化的・思想的な遺伝子を指す。リチャード・ドーキンスが「利己的な遺伝子」という本で提唱した。


利己的な遺伝子 <増補新装版>

利己的な遺伝子 <増補新装版>

  • 作者: リチャード・ドーキンス,日高敏隆,岸由二,羽田節子,垂水雄二
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シルバー世代の方々にとって、「今」はとても短い。
年をとると感じるが、時間の流れ方が若い頃とはまるで違う。


気がつけば一年経っている。
そういう人にとって、「明日どうなるか」と「来年どうなるか」は、ほとんど変わらない質問になるだろう。それよりも、100年後にどうなるか、という話をするべきだろうか。


たとえば、50年後。


そこに座標を設定することで、僕とシルバー世代はともに「決して自分が訪れることのない未来」の想像図を共有できるかもしれない。


自分がいなくなってしまったあと、世界はどうなっていくのか。子どもたちはどのように生きるのか。
その子どもたちは。


自分は忘れ去られてしまうのか。それとも、忘れられずにいれるのか。
そもそも忘れられないことは幸せなのか。



今宵、銀河を杯にして

今宵、銀河を杯にして



神林長平、「今宵、銀河を盃にして」は「死後」の世界を描いた小説である。
実際には死んでないのだが、この作品の中では「死とは、それ以外の存在との通信が半永久的に一切遮断された状態である」と定義されている。



全ての人類にとって普遍的な疑問がある。
我々は一体どこから来て、どこへ行くのか。



その疑問に向き合う、実は貴重な機会なのかもしれない