THE長文日記

長文とか短文とかのクレームは一切受け付けません

終わりの日と始まりの日

 最近、vloggerというのが流行ってるらしい。Youtuberと何が違うのかイマイチわからないんだけど、Youtuberがどちらかというと作り込み系のネタを頑張ってるのに対し、vloggerは文字通りブログのごとく自分の日常を配信している・・・のが違いなのかな。youtubeツイキャスの違いというか。生主と歌い手の違い?



 おれが学生をやっていた頃、とにかく大学をサボりまくっていたので毎日が死ぬほど暇だった。暇にまかせて朝から晩までプログラムを書いて、まあ平日はバイトしたりして、週末は友達の家に集まって酒を飲んだり、その繰り返し。このルーティーンが3年くらい続いたんだけど、それでも暇だったのでWebに日記みたいなのを書き始めた。


 その頃、ようやくインターネットでも動画が扱えるようになってきて、仲間とくだらないビデオや歌を作ってWebで公開してゲラゲラ笑ってた。


 何が面白いのか自分でもよくわからなかったが、自分たちが公開したビデオを見て欲しいというよりは、自分たちがバカやってるところを公開していることそれ自体のシュールさにゲラゲラ笑っていた気がする。


 その頃のおれは自分がなにをして生きていくべきかハッキリとしたビジョンを持っているわけではなかった。今でも覚えているのは、その頃のおれのホームページに設置した掲示板に書かれた、もう誰に聞かれたのかわからないくらい昔のセリフだ。「あなたは表現者になりたいのか、それとも技術者になりたいのか、どちらなんでしょうか」


 自分を表現者だと思ったことがなかったおれはあまりに買いかぶられているのでこれを見てまたゲラゲラ笑ってしまった。表現者というのは実に大袈裟だと思った。その頃のおれは、好きなことをして毎日ゲラゲラわらって過ごしたかっただけだからだ。


 そして技術者になりたいか、という意味では、すでに技術者だった。目指したわけではない。ただ好きでやっていたら仕事になっただけだ。プロの世界の厳しさも甘さも、二周してようやくわかりかけていた頃だ。


 「表現者なんてとんでもない」 みたいに返したような気がする。


 それは大袈裟だ。飯を食えればいいというのが仕事の条件なら、おれはその頃すでにライターとしてもエンジニアとしても飯を食っていく自信はあった。でも表現者として食っていく、なんていうだいそれたことは想像もできなかった。




 子供の頃、僕が初めて形にしたソフトは、リアルタイム3Dライブラリだった。これも広い意味ではプロダクティビティツールである。なぜ作ったかといえば、それを自分が使ってスターウォーズみたいな世界をつくりたかったからだ。これを作るのに約10年掛かったが、今ならUnityでもっと高度なことが一瞬でできる。


 ニューラルネットも何度となく作った。何度となく作っては、あまりにも性能が出ないので持て余した。なんとかそれを使って実用的なツールを作りたくて試行錯誤を重ねるが、いつも失敗した。とにかく、ニューラルネットにはわかってないことが多すぎて、分かる範囲では実用的な性能が出るにはまだまだ時間がかかることはハッキリしていた。当時おれのコンピュータは8MHzの8086で、メモリは640KBしかなかった。今、わりとコンパクトに思えるGoogLeNetの容量は250メガバイトくらいだから、今振り返ればどだいそんな機械でニューラルネットを実用的に扱うのは無理な話だったのである。




 ゲーム業界に流れ着いたのは、たまたまである。子供の頃から本当は人工知能やOS、プロダクティビティツールの開発に興味があった。実はゲームはもともとあまり好きではない。嫌いではないが、めちゃくちゃ好きかというとそうではない。これはゲーム機を買い与えなかった父親の判断が正しいと思った。僕は特定のゲームには飽きるのが早い。だったらプログラミングしたほうが遥かに面白い。プログラミングは飽きない。無限の選択肢があるからだ。ゲーム業界はOSと人工知能とプロダクティビティツールを一人で作ることが出来る、稀有な場所だった。ゲーム機にはOSの機能がないので、メモリ管理やらファイル管理やらを自分で作る必要がある。つまり、OSに相当する部分だ。さらに敵の思考ルーティンはAIと呼ばれる。まさに人工知能「的」な部分だ。そしてステージを作ったりするためのプロダクティビティツールを内製するのが当たり前だった。やりたいことが全て仕事としてできるのはゲームプログラマーだけだったのだ。ここまで好きにできると、ゲームそのものはもはやどうでもよかった。


 それからなんとなく就職(?)して、エンジニアとして大いに稼ぎ、エンジニアとしての限界に気づいて企画職にジョブチェンジして、給料がそれ以上上がらなくなったので自分で会社を作ることにした。思えば流されるまま行き当たりばったりに生きていると思えなくもない。


 企画職にジョブチェンジしてさえ、プロダクティビティツールを作りたがったし、実際にいくつも作った。単にメンテを誰か他の人にやらせるだけで実質的にはやりたいようになっていた。ただゲームは突き詰めれば突き詰めるほど、AIの要素が薄くなっていった。ゲームを面白くするためにするべきこととAIを実現することがある時点から乖離していった。そういうことがわかった頃、おれはゲームプログラミングに関してだんだん醒めていった。確かにゲームは素晴らしい総合芸術だが、自分の人生を全て賭けたいほどではないと思うようになった。


 会社を作るときさえ受け身だった。会社を作ろうと言われるまで実際にはなにもしなかった。漠然と個人事業主として登録して仕事しようかなあ、くらいのものだ。のんきなものである。その頃、僕は友人から小さい仕事をもらって糊口をしのいでいて、アプリ開発一本15万円という、どこの昭和だよという価格帯の仕事をしていた。


 社名などその最たるもので、僕は社名を「自分で決めない」ことに拘った。自分で社名を決めると愛着がわきすぎてしまうことを嫌ったのだ。まだ経験したことがない、経営者になるというとき、社長として会社に極度に愛情を持って感が鈍ったりつまらないことに拘ることを避けたかった。もっといえば、社長にもなりたくなかった。いろいろな偶然と必然があって、社長になっただけだ。


 仕事も、プロダクティビティツールの開発をメインにしたかったが、結局は周囲は僕をゲームで成功した人間と見做していたから、なし崩し的にゲームを作る仕事が主軸になってしまった。ライスワークというやつだ。


 その代わり定款をつくるときには、人工知能の開発を行う、という項目を盛り込んだ。人工知能の実用性など、影も形もない頃である。もちろんかな漢字変換とかエキスパートシステムとか、人工知能応用技術と呼ばれる一連の仕組みは存在していたが、それを「人工知能」だと思ってる人はごく限られた人だった。厄介なのは、そのごく限られた人だけが「人工知能の研究者」を名乗っていた、という社会的な状況でもある。ぼくの認識では、それらは「人工知能へ至るプロセス」に過ぎず、プロセスはツールとは言えない。


 それから15年、きっと一生この会社をやっていくんだろうなと思っていた矢先(だからこそ当時影も形もなかった人工知能の開発を定款に入れたのだ)に、まさかの大転機が来た。しかしそれもまた必然的なものだった。


 今日、2018年1月15日は僕以外のほとんどの人にとってどうでもいい日だと思うが、僕にとっては15年勤めた会社から最後の給料が振り込まれる日であり、新たに創業した会社からの役員報酬が最初に振り込まれる日でもある。つまり、ぼくにとって終わりの日であり、始まりの日でもある。


 新しい会社は、古い会社とはなにもかも違う。

 まず、社名は自分で決めた。決めるプロセスにプロのネーミング屋とロゴデザイナーを入れた。彼の提案した中から自分で選んだ。


 もう僕は経営者として十分な経験を積んでいた。会社に自分で名前をつけたからって、過度に愛情を注ぎ込むほどの若さはない。


 そして事業としては、これまでずっとやりたくてもできなかった、人工知能のプロダクティビティツール化を専門的に行う。


 人工知能ということばをようやく使っても良い、と考えるだけの自信を持てるくらいの性能が、近年のコンピュータには備わっている。最大128GBのVRAMを使えるGPUが存在し、特定のタスクでは人間よりも高性能な視覚認識能力を備える。


 明らかに、これまでできなかったことができるようになってきている。それが今のニューラルネットで、そこには大きな可能性がある。


 新会社、GHELIA(ギリア)では、エンジニアの正社員、インターンを募集している。


 僕はいまの深層学習をやるのに、ニューラルネット専門知識や経験そのものはそれほど必要ないと考えている。むしろ必要なのはWebやインフラなど、どこにでもある普通のエンジニアリングができることだ。習うより慣れろの精神でこの世界に飛び込んでくる人を待っている。


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