THE長文日記

長文とか短文とかのクレームは一切受け付けません

情熱の値打ち

 仕事上の付き合いがある某外資系企業の人と飲んでいたら、彼がゴトーと「ときど」の話で盛り上がった。


 「ときど」と言われて何のことだか分かる人はこの先読まなくてよろしい。


 もちろんオレはさっぱりだ。

 どうもプロゲーマーの人らしい。


 プロゲーマーといえばウメハラ氏が有名だが、オレの世代ではブンブン丸とか池袋サラとか新宿ジャッキーとかのほうがピンと来る。まあいいか。


 二人があまりにも熱くときどの話を語り、その場で「この本を読んで下さいよー」とウザ絡みしてくるので仕方なく買ってみた。


 ちなみに最近、必然性のない酒はやめていて、その日もオレだけシラフだったのだが、シラフの人間が飲み会で酔っぱらいに交じるとどんな気分になるのか、という気分を存分に味わった。


 そこで買ってみた「ときど」の物語。


 どれどれ・・・と読んでみると、なるほどこれはけっこう面白い。


 ちなみにオレはゲームは遊ぶがゲーマーではない。川上さんの本の中で勝手にゲーマーということになっているが、オレがゲーマーを名乗るのはゲーマーに失礼だと思う。オレは基本的に、楽しみのためにゲームはやらない。作るためにやっていた時期はある。


 最近は楽しみのためのゲームをやることもあるが、ゲームがしたくてしたくて仕方がないというよりも、他にすることもないし仕事のことはひとまず忘れたいからゲームをしているに過ぎず、いつでも辞められるという意味でまったくもってゲーマーとは名乗れない。


 少年の頃もゲームセンターに通ったが、それは最新技術のプログラムを見学するのが主な目的で、遊ぶことはぜんぜん目的じゃなかった。たまに遊ぶときは、そのプログラムの癖やアルゴリズムを見極めるためだけだ。


 ゲーマーからしたら僕みたいなのは許せないだろうが、要するにそういうあんまりゲームと近くないところにいた人間から読んでも、この物語はものすごく面白かった。


 ときどは、エリートである。

 大学教授の父を持ち、子供の頃から東大を目指して勉強してきた。


 東大受験のための勉強以外はゲームしかしてなかった。

 麻布中学に進学したんだから、小学生の頃からそれなりにできる方だったんだろう。


 中学時代にゲーム大会で優勝し、国際大会にも出場して世界一のプレイヤーになった。そして一浪して東大に進学した後、大学院に進学。しかしそこで大きな挫折を経験して、中退しプロゲーマーになる道を選ぶ。


 ときどは「勝つためには手段を選ばない嫌な奴」と評判だったらしい。それはゴトーも言っていた。そのときどが最後に気づいたのは何か。情熱である。


 論理を積み重ね、クレバーに勝ちだけにこだわった結果、ときどが最後の拠り所としたのは、なんと情熱、心の炎だったのだ。


 東大に入ったのにやる気のない同級生を見て「こんなやつらゲーマーとしては通用しないな」と思ったりするのが面白い。どこの世界にもやる気はないけど勉強だけはできるやつというのはいる。利口すぎて、ほどほどの成績をほどほどにとって満足するような人たちだ。僕もそういう人たちに対して興味を持てないとおもう。


 全編を通じて大きな挫折もあるが、基本的にときどは前向きで、イキイキしている。それは彼の父親の影響も大きかっただろうし、麻布学園という環境も大きかったのだろう。


 本書は全編を通して東大を出てプロゲーマーになるのが、いや、まさにそれこそが、正しい選択なのだと、なぜか勇気づけられる内容だ。


 オレはよく、講演などで「これから求められるのは好きなことを好きなようにやってみんなから愛される、Youtuberみたいな職業が生き残っていく」とうそぶいているが、ときどの生き方を見ると、まさにそうなのではないかと思う。本書の影響を受けて付け加えれば、「好きなことに情熱を持って」という言葉が相応しいかもしれない。


 情熱というのは内なる炎だ。消そうとしても消えないのが情熱である。

 そしてときどによれば、情熱の炎は伝播する。それが本書の素晴らしいところだ。


 子供を持つ親の視点として読んでも、一人の少年が一人前の男になっていくサクセスストーリーとしても面白い。時たま登場する彼の父親が実に良い。自分の息子にこんな風に思ってもらえるならさぞかし嬉しいだろう。


 なるほど、二人が夢中になるわけだ。


 ゲームとかプロゲーマーシーンに全く詳しくなくても楽しめるし、なによりこれから必要とされる人材のロールモデルとして非常に稀有な例だと思う。オススメです。

 

東大卒プロゲーマー (PHP新書)

東大卒プロゲーマー (PHP新書)