THE長文日記

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【電光石火に】何故こんなに暴走族映画に惹かれるのか【銀の靴】

 狂い咲きサンダーロードを何度もリピートして見てしまう。


 ちなみに僕は二輪の免許は持ってない。原付きには乗っていたことがあるが、もちろん四輪で峠を攻めたりもしない。


 狂い咲きサンダーロードとは何か。


 とりあえず面倒なのでwikipediaから引用


近未来。日本の何処かにあるという幻の街「サンダーロード」で鎬を削っていた暴走族達が、警察による苛烈な取締が実施される新道交法の成立を機に、休戦協定を結ぶことになった。「新道交法を遵守して愛される暴走族になろう」という平和的な協定に、武闘派の鉄人暴走族として恐れられていた魔墓呂死(まぼろし)も参加を表明。かねてより恋人の典子(北原美智子)と堅気になろうと考えていた魔墓呂死リーダー・健(南条弘二)の一方的なこの決定に、特攻隊長の仁(山田辰夫)は猛反発する。あくまで暴走族としてツッパリ通すことにこだわる仁は、魔墓呂死特攻隊を率いて休戦協定の会合を襲撃、出席していた幹部らに重傷を負わせる。それでもなお協定を守ろうとする健に業を煮やした仁は、自ら新しい魔墓呂死リーダーになると宣言。仁と志を同じくする特攻隊メンバーの幸男(大池雅光)や茂(小島正資)らと新道交法を無視した暴走を繰り返す。


 近未来といってもこの映画が撮られたのは1980年だから、たぶん今からみたらものすごく昔のはずだ。


 この映画、全編とにかくずっと怒ってる。笑うというシーンがない。そして唯一ニコニコしながらやってくるゲイの右翼役の小林稔侍が怖い。


 映画を通して唯一の笑顔が小林稔侍という怖さ。そして結局、主人公の仁は、結局、小林稔侍にひどい目に合わされる。恐ろしい。


 しかし一体何が面白いんだろうと思うとうまく説明できない。


 主人公の仁を演じる山田辰夫の演技はもちろんいい。素晴らしい。

 本当に暴走族みたいである。


 また、場面場面に挿入される暴走族のたまり場のショットでダラダラしてるのがいい。


 ああ、この良さは、たぶん「マッドマックス 怒りのデスロード」みたいな感じなのかもしれない。


 奔放な暴力性と青春のほとばしり。

 たぎるエネルギーの行き場をなくした挙句、右翼団体に身をおいた仁が街宣車でビラ配りするシーンなど。なんていうか勢いがある。


 そしてラストバトル、問答無用の突撃、爆発。控えめに言って頭おかしい。

 必要もないのに無駄にバイオレンス。そして挨拶代わりの「ヒャクショー」


 なんでヒャクショーなのかというと、要するに冒頭で「暴走族なのに新道交法が怖いから暴走をやめる」という決断をした上層部に対して「そんなにゆっくり走りたきゃ、田んぼの真中で耕運機でも乗ってろよ」という意味で「ヒャクショー」というパワーワードが持ち込まれ、以来、暴走族に対して挨拶代わりの煽りで「ヒャクショー」という言葉が乱発される。


 ちなみに現代では百姓は差別用語であるとされ、放送禁止用語なので狂い咲きサンダーロードももちろん放送できない(肝心のところがピーになってしまう)。さらに付け加えれば、僕の祖先は代々続く百姓一家で、江戸時代から清水姓を名乗り帯刀を許されていた由緒正しいどんビャクショーであるので差別的な意図はない。


 しかしこの「ヒャクショー」という煽りが不思議と気持ちいい。むしろナンならヒャクショーと呼んでいただきたい。


 そもそもプログラミングと農業は似ている。

 どちらも背を屈めてひとつひとつ丁寧かつ素早く作業しないといけない。

 そして人々の生活の必需品でもある。


 AIになるとさらに農業と共通点が増える。

 なんせAIを育てるのはGPUファーム(農場)であり、AIに電力をやりながら育つのを見守るのが主な仕事になる。


 昔の映画はだいたいにおいてこのヒャクショーがどう活躍するかというのが重要な要素になっていて、たとえば黒澤明の不朽の名作「七人の侍」でも侍に憧れる百姓の「菊千代」が事実上の主人公格になる。

 

 昭和中期の「百姓」は「力を持たない大衆」の象徴であり、誰でも感情移入できるようにするためのギミックだった。


 しかし昭和後期の「狂い咲きサンダーロード」では「ヒャクショー」が暴走族の蔑称となった。なぜかといえば、たぶん農家と人々の繋がりが意識されないようになったからだろう。


 昭和後期の大衆のイメージといえば、父は会社員、母は専業主婦の家族であり、農家とは父または母の実家を意味するに過ぎない。


 しかし依然として農業は人類の生活の基礎であり、農業革命が起きたから人類はわずか数千年でここまでの文明を構築することができた。


 この農業が自動化されれば、いよいよ農業革命は最終段階に到達することになる。



 アニメ「正解するカド」では、異方から現れた異次元人、ヤハクィザシュニナが数々の奇跡的なテクノロジーを齎す(以下ネタバレあり)。


 ヤハクィザシュニナがもたらした数々のテクノロジーにより、人類は無限のエネルギー源を手に入れ、不眠で働くことができるようになる。


 正直、ここまでは「おお、すごいアニメだ」と思ったのだ。

 しかしなんか結局、ヤハクィザシュニナには陰謀があったみたいな話になってしまい、このアニメの面白さは急激に縮小していく。風呂敷を広げるなら、広げきってほしかった。大変なのかもしれないけど。前半までの面白さと後半のダルさ、そしてぜんぜんスッキリしないオチに萎えてしまった。まあしかたないけど。


 AIが我々の世界にもたらそうとしている「生きるために働く必要のない世界」のプロトタイプが「正解するカド」で描かれるのかと思って期待しすぎた、というのはある。


 脱線したので話を「狂い咲きサンダーロード」に戻そうか。


 狂い咲きサンダーロードの面白さは、そういう、当たり前の理屈をまるごと拒否するところだ。

 「こうすれば安全」「こうすれば傷つかない」「こうすれば正解」というものを全部ぶち壊して、ムチャクチャをやり続ける主人公、仁の姿にどこか憧れのような気持ちを抱くわけだ。


 正解ばっかり追いかけても人生は楽しくならないかもしれない

 あえて激情の赴くまま、間違ったことに全力を投じてもいいじゃないか、というのがこの映画のテーマなんだろうか。