THE長文日記

長文とか短文とかのクレームは一切受け付けません

無駄に意識高かった系学生の末路

 ゴトーがある日言ってきた


 「清水さん、"何者"見ました?」

 

 「え、みるわけないだろ」


 「いやーそうですか」


 「面白いの?」


 「いや、見なくていいです」


 「なんだよ、気になるじゃないか」


 「いやー、見たんなら感想聞きたいかなあと思っただけなんで」


 「なんかtwitterやりたくなくなるらしいな」


 「あーそれは知ってんすか。いやーおれたちはいいけど、現役の就活生があの映画みたら死にたくなるんじゃないかなあって思って心配してんすけど」


 「どうだろうねえ」


 ゴトーが思わせぶりなことを言うので気になるから本を買ってみた。

何者(新潮文庫)

何者(新潮文庫)


 Kindleは会話したすぐその次の瞬間に本が読めるから便利だ。


 そして読んでみると、なるほどね、こりゃ痛々しいわ。

 

 痛々しいし、オチも秀逸。

 居るよね、スラッシュで区切ってプロフィール書く人

 無駄に名刺持ってる学生

 学生団体頑張ってる学生

 イベント主体のサークル開いてる学生とかね


 ・・・・って、それ全部俺じゃんか。


 なんだよ。オレかよ。

 オレの学生時代そのものじゃないかよ。


 つれえ

 つれえわこれは。


 幸いにして、僕は就職活動とは縁がなかった。

 サークルやって、(プログラマー向けの)イベントやってたら、なんとなくプロのイベント屋みたいになっちゃったし、無駄に意識高いブログ書いてたら二回目の一年生をやっている間に仕事が来た。


 あの頃のブログは全部燃やしてしまいたいと思っているが、ご丁寧に当時のサーバーの管理人さんが全部保存していて、僕の手元に封じるべきzipファイルがひとつある。


 人間はひとつひとつ、賽の河原のように黒歴史を積み重ねながら大人になっていくしかない。


 黒歴史のひとつやふたつ持っていないようでは大人になれない。もうそう言い切っちゃっていいですかね。


 さて、40歳になって三ヶ月経った。


 ついに名実ともにガチのオッサンになってしまった。

 

 そしてそれがどうやら我ながらショックだったらしく、誕生日にもブログを書かなかったし、誕生会もやらなかった。


 40歳ってなんなんだよ。このオレが。いい加減にしてくれよ。

 ハタチの奴の二回分の人生生きてるんだぜ。



 ちょっと前だけど、大学で教えてた時に生徒と飲んでたら


 「清水さん、ソルティドッグって知ってますか?」


 って言ってきた学生が居て、



 「は?それって最近はやってるアプリかなんか?」


 と聞き返したことがある。


 「いや、酒ですよ」


 オレは呆れた。何を言ってるんだこいつは。当たり前だけど、カクテルのソルティドッグを知らない奴がいるという想像力はもはやなかった。


 「あれ、めっちゃ美味くないっすか。だってグラスの縁に塩塗ってるんすよ」


 そいつは、本当に親切心から、先週生まれて初めて飲んだソルティドッグという甘いカクテルを、こんな美味いものがあるのか、だったら目の前の大人に教えてやらなければ、と思っておれにソルティドッグを知ってるか聞いてきたのだ。


 それがあまりにも鮮烈な体験で、なんだかそいつのことが好きになってしまった。


 先日、ソルティドッグの彼とは別の、就職した元教え子が有給でヒマしてると言うのでランチをつきあった。


 「何者って小説、知ってる?」


 と聞くと


 「大学二年のときに読みましたよー。清水さんあんなの興味あるんですか?」


 「いや、ゴトーがさ、あれを就活生が読んだら辛いんじゃないかって言ってたから」


 「いやー別に。こんなもんかなあって思ってましたよ。私の周りにあの小説に出てくるような人って居ないし。ただ、twitterってやだなーとは思いましたけど」


 そりゃそうだ。

 あの小説はなんだか変だ。

 というか、変なやつばかりが集まってる話だから当然なんだけど。


 意識高いやつはへんだ。変だから意識を高く持たないといけないのかもしれないが。

 なんだかほんの少しだけ、ズレてる。そのズレ方は、もしかしたら、方向性がちょっと違うだけで最強伝説黒沢のズレ方と似てるのかもしれない。



 黒沢は愛すべきオヤジだけど、何者に出てくる登場人物には一人も共感できない。


 それは僕が老けたのか、それとももっと別のなにかがあるのか、実のところ僕にもわからない


 「おれももう40になっちゃったよ」


 と言うと、ほぼ例外なくもともと僕の年齢を知ってる人以外のあらゆる人に驚かれる。


 驚いたのは、「まだそんなに若かったの?」と言われることが半分くらいあることだ。


 え、おれって若いの?


 と思った。


 ちなみに何者、の続編的世界観の短編集で何様、というのがある。


何様

何様


 ここでは何者の登場人物の周辺人物のあの作品の前後の世界が描かれる。


 本編に比べるとそこまで面白くない気がするんだけど、まあアナザーストーリー的には面白い。


 これによると一番痛々しい感じだったやつが、わりとそれなりに成功しているストーリーになっていて、これはある意味で作者の願望かな、と思ってしまった。まあ成功してほしいよね。ああいう人は。


 けど、僕はやっぱり、いくら自分がかつてそうだったからといって、意識高い系学生があんまり好きじゃない。彼らの高すぎる自意識の大半は、空回りだし、実際にやりきる覚悟があって言ってる人はほとんどいない。もしくは覚悟くらいしかない。でも覚悟だけではどうにもならなくて、やっぱりちゃんと落ち着いて人生の戦略を立てて、何をどの順番でやればちゃんと自分の思うような人生を生きられるのか、それを決めることから逃げていると、意識の高さは単に無様でしかない。


 そういう人がよく紹介されて僕の前に現れるが、ほとんど興味が持てない。

 学生の頃に意識が高いやつはたいがい大人になっても意識が高いままで、なんか空回りして、たいして面白くもないものを絶賛したり、どうでもいいことで涙を流したりして、精一杯、自分はちゃんと生きているんだという確認をしたくなるのかもしれない。


 んでもって、そういう奴らは40男のタイムラインに沢山いて、むかしは意識高い学生だったんだろうなというやつが、うじゃうじゃいる。まあ学生時代から知ってるやつもいるけど、結局のところちゃんと出世してちゃんと自分の意見を表明して、ちゃんとまがりなりにも会社を経営してってやってるところを見ると、結局、意識高い学生には二種類いるのだろうということに気づく。


 ひとつは自分の意識を高く持った結果、中身を伴わせることを怠って、言葉の綺麗さにただ酔って満足するだけの人。もう一つは、意識を高く持った結果、目標を定めて必要な行動をすぐに開始できる人。


 前者は高い意識と自分の現実とのギャップに一生苦しむことになる。苦しんでないふりをしながら、一生自分を自分で肯定しながら生きなければならない。


 でも実は後者になる方法は普通に想像するより簡単なんじゃないか。


 たとえば、敢えて綺麗なだけの言葉、勢いだけの言葉を使わずに、泥臭い、格好悪い言葉を使って自分の意識を表現すること。へんに気取って構えるのではなく、特別な才能もなく、泥臭くもがく自分をありのまま受け入れること。要はちょっとバカにならないとダメで、意識を高くしたり低くしたり自在にできる方が意識が高いままよりもずっと視野が広くなるのではないかと思う。


 でも誰もが無理をしてまで自分の人生を設計する必要はない。


 正直に言うと会社を作ったときは40歳になったら引退しようと思ってた。

 40歳以降の自分の人生が想像できなかった。


 でもそれは、20代のときに30歳以降の自分が想像できなかったのと同じだ。


 自然体で生きていて、そんでときどき、倍くらいの年齢のおっさんに先週始めて飲んで感動したカクテルを勧めてくるような、そんな自然体のやつがやっぱり眩しく見える。これがやっぱり、実は一番難しい。むしろそれこそが特別な才能である。


 そうなれなかったのは、もはや仕方がない。


 そんなわけで最近、40になって引退するとかカッコ悪いと思うようになった。


 すると40代で引退した神エンジニアですが聞きたいことある?というイベントの告知が流れてきて、この人は引退した上にまだなにか若者に伝えたい事があるのかと呆れてしまった。そもそも40代って引退するってカッコいいの?


 僕は70になってもものづくりを続けたい。


 これまでの人生は10年先のことくらいしか考えられなかった。

 でも40になって、もしかしたらこれから80歳まで生きるかもしれないという意識の中で、初めて20年、30年、40年といった長いスパンで自分の人生を想像できるようになった。

 

 樋口さんがシン・ゴジラを撮るのが50歳、水口哲也Rez Infiniteを作ったのが51歳。


 スティーブ・ジョブズが倒産寸前のAppleに復帰したのも41歳だもんね、そこからあの帝国を作り上げたわけよ。10年ちょいで、iPhoneを出したのが52歳。やっぱり真の偉業というのは50歳にならないと達成できないんだろうな。


 あと10年で、おれは何ができるだろうか、その次の十年で、オレたちはなにができるだろう。


 そしてオレの周りの還暦や喜寿のジイ様たちは、誰も引退しようなんて考えちゃいない。他人の一生分の何倍もの稼ぎをもっているジイ様たちが、まだ働きたい、まだやるんだという姿はカッコいいと思うし、むしろ宮﨑駿が千と千尋を作って日本史上最大の興行成績を達成したのが還暦だからね。


 もちろんそんなレベルの偉業が自分にできると信じてるわけじゃないけど、自分よりすごい人達はどんどん引退していくんで、目指すのはタダだし、できることならやりたいよね。別にどうせ寿命が来て死ぬまでまだまだ時間はあるんだし。


 で、こういうことを思っていてもわざわざ書くのはカッコ悪いんだよ。分かっててやってるんだよ。そうしないと自分の軸がどこにあるのか、本当は見失いそうになってるんだから。でもカッコ悪くてもやり方がこれしかないんだよ。そんでもって、それをどこか誰かが見えるところに置いておくと、カッコ悪いけどみんなにこんなこと言っちゃったからやらないともっとカッコ悪いしなって思うんだよ。


 そういうことを僕は高校生の頃からずっと続けてきて、それしかやり方を知らないし、どうやらそれはそれでそれなりに効果のある方法なんだよ。


 ブログに「アメリカで働きたい」って書いてみなかったらアメリカの会社で働くことなんてあり得なかったんだよ。少なくとも僕の人生じゃ。


 おれはこういうことがしたいって表明するのはカッコ悪いよ。でも本当にやりたかったら、カッコ悪くてもやるしかないんだよ。


 「何者」の中でも、「おれはこうしたい、そのために今はこんなことをしてる」とTwitterやブログに書くかつての親友に対して、主人公は「今書かなくてもいいじゃん」というツッコミを入れる。「成功してから書けばいいじゃん」と。


 でも、違うんだよ。成功したら、むしろ書けないんだよ。今思ってることを今のうちに書き留めて、どこかに出して、9割の人がみたらプッてなるようなことでも、泥臭くやっとくんだよ。そうすると自分の中で意識がほんとうに変わるから。中身をちゃんと入れなきゃナンないっていうふうに意識が変わるんだよ。


 だから意識高い系ブログを見てプッと思っても、放っておけばいいんだよ。特に学生なんか、子供なんだし世間なんか知らないんだから、わざわざ教えてやる必要もないんだよ。結局、生き残るのは、そういう恥ずかしいことを繰り返し繰り返し、自分の口に出し続ける覚悟のある人だけなんだよ。そうしない人は、すぐに言い訳をしてどこかへ逃げていってしまうんだよ。


 そういや、半年くらい前に、知り合いが偉いお爺さんに怒られるシーンに遭遇して、しかも本人は怒られているという事実にしばらく気づいてなくて、どういう言葉を発せればその場を切り抜けられるか必死で考えたことがあった。ああいう緊張感の中で台詞を考えたのは久しぶりで、ものすごくこわばった顔になった。まるで鏡でも見てるみたいに鮮明にその場面が思い出せるくらい、強烈な体験だった。


 そのシーンに限らないけど、偉い人が怒るっていうのは、基本的には愛情なんだよね。「そんなことをしたらバチが当たるよ」と怒るってのは、エネルギー使うし、疲れるよね。結局、そうやって僕らがどうするか、偉い人の言うことを受け入れて話を聞く気があるのか、そうでもないのか、それを見極めたいってことなんだと思う。


 ここで半端な意識の高さの人は、自分を否定する人から逃げるんだよ。これはほぼ例外ない。要するに中身がないから重みがない。メンタルが弱い。だから正面から自分を否定された時に、立ち向かう気力を奪われちゃって、またなにか格好いい、綺麗な言葉で言い訳を見つけて逃げちゃうんだよ。僕のところに紹介されて来る意識高い系学生を僕がキライなのは、僕に何か言われるとすぐに逃げちゃうことなんだよ(募集はしてないのにいつもちょっと意識高い大人が連れてくるんだよ)。


 結局、知り合いは、そのときはすごく怒られたんだけど、一度は相手が何を怒ったのか考えて、謝罪して、それからめげずに自分の想いを伝えて、時間をかけてその人に許してもらって、今は仲良くやってるそうな。そういやその知り合いも、学生の頃は怪しいサークルを作って郵便の手紙で戦略ボードゲームをやる胴元をやったりしてたって聞くし、もしかするとすげー意識の高い学生だったのかもしれない。


 その知人ももう50近くなって、すごく偉くなったのに、もっと偉いお爺さんからみんなの前で怒られるって、すごいつらい経験なんじゃないかって思うんだけど、そして逃げようと思えばその人は、いくらでも逃げ場があるのに、敢えて逃げないで、ちゃんと怒られたことを反省して、未だに図太くそのお爺さんのところに通ってるそうな。並の意識の高さじゃないよね。




 っておもってる。

 意識高い系オヤジがこちらになります。