THE長文日記

長文とか短文とかのクレームは一切受け付けません

スターウォーズファンなら読んでおきたい副読本


 スターウォーズという傑作が産まれた背景には、どのようなインスピレーションがあったか。


 ジョージ・ルーカスは、全く新しいサーガ(英雄伝説)を作るために、神話にヒントを求めた。中でもルーカスがそのストーリーテリングに最も影響を受けたのが、ジョセフ・キャンベルという比較神話学者だった。


 キャンベルによれば、オデュッセイアギルガメッシュ、シッダールタの修行に至るまで、古今東西の英雄神話は必ず、日常から始まり、非日常へ旅立ち、何らかの儀式を経て元の場所に戻ってくるという共通した構造を持っている。


 これをキャンベルは「Heroes and the Monomyth(英雄と輪廻)」と呼ぶ。



 この本自体は随分昔から話題になり、邦訳もでていたが、その邦訳の出来が酷く、なかなか広く読まれるものにはならなかった。


 今回、スターウォーズ・サーガが新たな展開を迎えるにあたり、再び新しい翻訳が行われたことは喜ばしい。

 サイズも文庫サイズなので鞄に忍ばせておいて暇つぶしに読めるのもいい。

 


 もっとも、キャンベルの指摘したようなことは20世紀前半から議論され、ウラジミール・プロップの研究によって、ロシアの様々な魔法神話は単一のプロットによって成立することが指摘されている。


 この手の話に関しては、物語が消費される社会に突入したことを指摘した大塚英志の物語消費論も面白かった。


定本 物語消費論 (角川文庫)

定本 物語消費論 (角川文庫)


 あくまで主観的な感想でしかないけど、ルーカスが新三部作を凡作にしてしまったのは、サーガということにこだわりすぎてしまったためではないかとも思う。


 第二作(エピソード5)の時にはあれほど拘った秘密主義も、秘密にするべき秘密らしい秘密もなくしてしまって(エピソード5のどこに秘密があっただろう?)、結果はシリーズが始まる前から解っている。


 これはストーリーを作る上ではとても厳しい制約で、本当はエピソード7以降を作ったほうがよほど気楽だったのではないかと思う。


 エピソード7を見て思い出したのは、「そういえばスターウォーズというのは観客を裏切る秘密に満ちた物語だった」ということ。


 それはもう予告編から徹底しているし、上映手段からしても徹底している。


 エピソード1ではパドメとアミダラが同一人物であったなどの秘密があるけれども、あれは却って物語を理解しにくくしただけであまり効果的ではなかった。


 エピソード2では謎が深すぎて一度見てもなかなか理解できない。実に神話的なストーリーになっていて、途中でオビ=ワンが意図的に嘘を付いているということに気づくまで時間がかかる。


 神話であるから、エピソード1~3は、エピソード4~6を踏襲するべきであるという考えがたぶんルーカスの根底にあって、しかしラストは通常の神話とは違い、主人公が戻るべき日常を永遠に失うという悲劇的な結末を迎えることだけは残っている。


 ただ、ストーリーが唐突であるとか強引であるとかいう批判は、もはやスターウォーズに関しては意味を成さないと僕は思う。


 なぜなら、それがスターウォーズだからだ。


 めくるめく空中戦、激しい剣劇。そして覚醒する魔法の力、理力*1


 それさえあればスターウォーズなのだ。

 前三部作には空中戦の要素が欠けていたのだ。

 あと、意外とフォースも活躍してない。


 エピソード5で、ルークが初めてフォースを使ってライトセイバーを取り戻した時、観客は一人残らず興奮したはずだ。


 「おお、フォースってこう使うのか!なんて便利なんだ!」


 あの演出は見事だった。

 インパクトは絶大。

 そして子どもたちは家でフォースを使ってものを引き寄せる真似をした。


 いつか誰かが科学的な手段で似たようなものを作るだろう。


 フォースが普通の魔法と比べて素晴らしいのは、できることが制限されていることだ。


 たとえばハリー・ポッターにおける魔法は、マジック・ザ・ギャザリングなどのトレーディング・カードゲーム的な魔法である。


 つまりある魔法が最強に思えても、それを上回る魔法が出てくれば価値はなくなる。


 ところがフォースはそれに比べると非力である。

 特にジェダイの使うフォースは非力だ。


 ジェダイの使えるフォースは、物体の遠隔操作(まるでドローンだ)、説得(極めて穏便に相手を洗脳する)、大ジャンプ、テレパシー、それしかない。


 フォースが使えたとしても、氷の惑星で瀕死になったり、腕を切られて死にかけたりする。でもそれだけだ。


 つまりジェダイのフォースは、ヒューマン・エンハンスメントの域を決してでないように注意深く設計されているのである。


 対して暗黒面のフォースは、触らずして人のクビを締めたり、指先から電撃を放ったりすることができる。より魔法的ではあるが、実はこれもやはりヒューマン・エンハンスメントの範囲を出ないように設計されている。


 電撃を放つという映画的な演出のための技以外は、ジェダイでもその気になれば出来そうなものばかりだ。つまり暗黒面というだけあって、心の持ちようでジェダイでも簡単に暗黒面に転がり込むことができるのである。


 旧三部作の世界のジェダイは、普通の人間よりも少し拡張されているにすぎない。

 ガンダムニュータイプと近い。


 ところが前三部作のジェダイは、巨大な権力者であり、銀河共和国を裏で牛耳る存在である。

 中国共産党人民解放軍のような関係性を持っているのだ。


 ジェダイが宇宙の警察として君臨する世界観に僕があまりついていけなかったのは、たぶんこれがあまりにアメリカ的な正義の発想だったからだろう。


 たぶんルーカスは、E・E・スミスの銀河パトロール的な存在としてジェダイ評議会を置きたかったのだと思うが、そもそもそれには無理があるのだ。ジェダイと共和国軍は切り離されているべきだった。ヨーダが軍勢を率いて戦うというのは、僧侶のイメージが強いジェダイには似合わない。


 ジェダイのイメージの源がE・E・スミスレンズマンにあるのではないかとはよく言われていて、実際、エピソード1~2のジェダイ評議会はレンズマンたちの所属する銀河パトロールによく似ている。エピソード2のオビ=ワンの行動などは、独立レンズマン(グレー・レンズマン)を彷彿とさせる。


 レンズマンはごく普通の人間たちの中から選抜されて訓練を受けたエリート中のエリートの中でも、さらに高度な精神力を持つエリートだけがなることができ、その多くは人間ではなく様々な異形の宇宙人であるが、高等知性体であるアリシア人から授けられた"レンズ"の力によって、高度なテレパシーや人の心を操る能力、敵の精神攻撃に抗う精神エネルギー派を放つことを可能にすることだ。


 レンズマンスターウォーズに全く影響を与えてないとしたら、嘘だろう。

 SF好きのルーカスがこの古典的名作を読んでいないわけがない。


 レンズマンの初出は1937年だから、ルーカスが生まれるより前だ。


 レンズのもたらす力や性質と、フォースのもたらす力や性質はよく似ている。


 レンズマンシリーズも最近Kindle版が出てるのでスターウォーズにハマりすぎて読むものがなくなったら読むのが良い

*1:いつからフォースに理力という当て字をしなくなったのだろう。悲しい