THE長文日記

長文とか短文とかのクレームは一切受け付けません

経営とは何か、挑戦とはいかに泥臭く惨めなものか

 水曜日に迫った初のトークライブ「プログラミングバカ一代まつり」に向けて、いろいろと準備を進めつつもう一度本書を読み返したり、当時を振り返るための資料を集めたりしていたんだけど、今年の7月に発売されて、しかし辛すぎて読み返すことができなかった本にようやく向き合うことができた。



 本書は電子書籍限定本であり、実際に本書を書き上げたのは1年以上も前に遡る。

 

 もともと、僕が「プログラミングバカ一代」のなかで「僕の人類補完計画」と呼んだ「人類総プログラマー化計画」を実際に実施している最中、技術評論社の「Software Design」誌に掲載された連載をまとめたものである。


 この本は、「プログラミングバカ一代」のクライマックスとも言える、「人類総プログラマー化計画」の詳細について触れた本で、「プログラミングバカ一代」の執筆時には本書と内容がかぶらないよう苦心した。


 ところが連載中にはさまざまなことが起きた。取締役会との対立、現場からの追放、もちろん中国での死闘、会社の資金が底をつきかけながらも、ついには自分の退任も覚悟して、それでもこの計画を前へ進めようと困難に立ち向かい、もがき、足掻いた日々の壮絶な記録である。


 あまりにも辛いので連載することそのものも辛かったが、連載中に部下から「なんであんなこと書くんですか」と怒られるのもまた辛かった。でもenchantMOONという夢に乗ってくれた人たちに、経緯を説明する義務があると思った。


 いざ読み返すと、やはり辛すぎてやや混乱した構成になっているのも否めないが、あまりにも騒動が激しいので、一度書きあがった一年前に、僕から技術評論社に「ひと段落するまで当面は書籍化しないでほしい」と要請し、技術評論社の担当者は辛抱強く出版の機会を待ってくれた。


 ただ、あまりにもつらいし、そもそもあまりにもみっともない内容なので僕は本当はこの本を売りたくはなかった。なかったけれどもしかし、批判や罵声が浴びせられるなか、連載を辛抱強く続けてくれた技術評論社に対して義理も感じていたし、一度まとめた以上はどこかのタイミングで発売するしかないとは思っていた。いわば自分で書いた暴露本なのであんまり売れて欲しくはないと思っていた。


 が、蓋を開けてみると、あれほど売りたくなかったのに電子書籍としてはかなり売れてしまった。

 

 たぶん明後日のイベントに来る人たちの幾人かは読んでいるだろう。

 仕方がないので読み返すことにした。


 読み返したのは実に1年ぶりである。

 もう辛すぎて読み返したくなかった。

 ふつう、自分の原稿というのは、根本的に自分にチューニングしてあるので自分で読んだときに一番気持ちいいようになっている。だから僕は自分のブログや本を何度も読み返す。


 けれどもこの本だけは当時の思い出が辛すぎて一度も読み返したくならなかった。

 それでもいろいろ周辺の事情が落ち着いて、こういう機会もあったから思い切って自分の過去に立ち向かってみることにした。


 要するにこの本を発売後初めて読んだのだ。


 泣いた。

 いや、この本を読んで泣くのはたぶん世界で僕だけだろうと思う。

 泣かせるようには書いてない。


 ただ当時の辛くて辛くていつ自殺しても鬱病になってもおかしくないような日々を思い出したのと、それでも僕は自ら死ぬことも精神を壊すこともできなかったという単純な事実と、いっそあのとき何もかも投げ出すことができたらどれだけ楽になれただろうという気持ちと、それでも投げ出さなくて良かったという安堵と、そういう感情がいっぺんに蘇ってきて、気がつくとただ涙を流していたのだ。



 いま、僕の人類補完計画は第三段階を迎えつつある。

 つまり、このときの苦しみがあったからこそ、いま僕はここに立っている。

 最近、あんまりMOONのことを書かないのは、それがいまのところ上手くいってるからである。


 そう思うと、この本は僕に、僕自身に過去の自分から送られた熱烈なエールとも解釈できる。


 この時代にともに苦労した仲間たちといまも同じ夢を追い続けられているというのは、僕にとって大きな自信だ。そしてほんとうのところ、僕は「プログラミングバカ一代」のラストシーンで感じた、途方もない閉塞感からもうとっくに抜け出している。それは素晴らしいチームと、素晴らしい人々との出会いの賜物だ。


 アラン・ケイ・コンプレックスとでもいうべき精神状態を克服し、いま僕は自信に満ち溢れている。最後に会ったとき、ケイは言った。「これは君たちのものだ。助言することはない」と。


 その通りだった。もう僕はケイの助言を必要としていない。

 いまも沢山の人々の助言をいただいているが、そのなかにケイは含まれていない。


 そしていま自分の仕事を人前で振り返るとしたら、たまたまではあるけれどもこのタイミングしかないのかもしれないと思った。


 なぜなら、僕たちはこれからもっと面白いことを始めるからだ。

 これが上手くいってしまうと、それ以前の上手くいかなかった日々のことを忘れてしまう可能性がある。

 それが失われてしまうのは勿体無いし、いま僕は過去を克服し、自分の立場を自覚し、何よりたった一度しかない人生を楽しめている。


 これがどれほど素晴らしいことか。


 僕を嫌いな人たちはこの本を読んで喜ぶかもしれない。

 徹底的に惨めで、マヌケで、愚かな僕の所業が綴られているからだ。

 自分が書いた本で一度も読みたく無いと思ったのはとりあえずこの本だけだ。


 再びこの本を読み直すのは、やはり1年後になるかもしれない。

 そのとき僕はどんな気分だろうか。