THE長文日記

長文とか短文とかのクレームは一切受け付けません

キーボード

 夜、南治一徳さんとニコ生をした後、神田のカジュアルフレンチで夕食を食べた。

 南治さんの写真を"盛って"あげたら、「恥ずかしいからやめてください」と言われてしまった。まあそれがふつうの男性の感覚だろう。

http://gyazo.com/0bc738c9e4bc39d71d2e80814d69359d.png


 ↑これは盛ってない。

 ここで


 「どうもローマ字入力は脳に負担がかかっているのではないか」


 という話になった。

 

 ローマ字入力はかなり変だ。

 だってまず、頭の中で日本語を思い浮かべる。

 それをローマ字に変換して、打ち込む。

 打ち込んだ後で、スペースキーを押して変換して、変換候補の中から正しいものを選ぶ。


 たかが日本語を打ち込むのに、4ステップも要する。

 最近のIMEはなかなか高性能になってきて誤変換があまりないが、誤変換があるといらつく。


 ところが日本語を入力するだけなら明らかにフリック入力の方が早い。

 カナ入力と同じで、頭に描いた日本語をダイレクトに入力できる。これは脳の負担が少ない。


 短文なら絶対にフリック入力の方が速いと思う。

 唯一の欠点は、親指に負担がかかりすぎて長文を打つと親指が腱鞘炎気味になってしまうことだ。


 キーボードはその点、10本の指と腕の動きに分散しているので個々の筋肉への負担が小さい。


 するとやはりカナ入力は優位だ。

 僕は日本語文章を打つのが速いと言われるが、それはカナ入力によるところも大きい。

 たまに他人のPCを借りてローマ字入力をすると、もちろんできなくはないが、余計なことを考えなくてはならなくなり混乱してどうしても普段の1/3くらいに遅くなってしまう。


 外来語は悪夢だ。例えば僕にとって「コンピュータ」はカタカナのコンピュータか、英語のComputerだが、ローマ字入力ではconpyu-taと打たなければならない。


 これは慣れの問題なのかというと、例えば僕は英語キーボードMacやPCを使っていた時期もあったけれども、記号の位置が違うというのはすぐ慣れるが、ローマ字で入力するというのは慣れない。


 頭の中でいちどローマ字に変換するという動作が入ると、明らかに脳に負担がかかっていると思う。


 とはいえカナ漢字変換でさえも、「ひらがなに変換→スペース→確定」の3ステップを要することになる。ローマ字よりマシとはいえ、完璧な入力方法とは言い難い。


 ただ、音読できるような文章ならば、ひらがなに変換することはそれほど大きな負担にはならない。


 昔、樋口監督が言っていた。


 「3D映画はストーリーが頭に入ってこない。たぶん立体像を処理するのに脳の機能をかなり使っているのだと思う。迫力はあって楽しいが、ストーリーを覚えられない。同じようにカラーよりも白黒の映画の方がストーリーが入って来る気がする。それにステレオよりもモノラル」


 そんな理由で、「巨神兵東京にあらわる」はモノラルなのだという。

 情報を絞れば、それだけ伝わりやすくなる。

 もちろん樋口さんは映画監督であって脳科学の専門家ではないから、これが脳機能からみてどれだけ正しいのかはわからない。「そんな気がする」というだけかもしれない。


 しかし、情報を伝達する、情動を巻き起こし、人を感動させる、という映画製作のトップランナーである樋口さんが、そう考えていることは一考の価値があるだろう。


 すると手書きが一番いいのか、という話になる。

 手書きなら、ダイレクトに文字を入力できる。文字だけでなく記号や数式、図まで入力できる。恐ろしく表現の幅が広い。


 ところが仮に手書きで書くとしたら、僕のブログはもっとずっと短くなっているはずだ。

 とにかく手書きは疲れるのである。


 それは一文字を書くときの画数も多いし、筋肉への負担も大きいからだ。


 しかし、アイデアをまとめたり、メモをとったりするときに手書きをやると、それはもう、なにか足枷が外れたかのように脳がオーバードライブを始めるのだ。少なくとも僕はそういう感覚がある。


 ただし手書きは極端にプライベートなもので、たとえば自分で読み返したりすることもあまりないのだ。

 手書きした文書を振り返るときというのは、「ああ、沢山書いたなー」と思ってページをめくる時くらいしかない。


 そういうときに、enchantMOONの高速ページめくりは便利だ。

 1ページずつじっくり読むのではなく、パラパラと送ることが出来る。


 このパラパラと送ることが出来るというのが精神衛生上なかなかよろしい。

 自分の汚い字とかはあまり見たくないんだけれども、パラパラめくるとなんだかそういうことさえも許せる気がするのだ。


 しかし手書きだと、長くても一度に3~4ページくらいしか書けない。それで一時間くらい経過してしまう。手書きだとある意味で凝縮される。必要なことだけ書くようになる。


 やっぱり疲れるからだ。

 これが議事録をEvernoteで書くと、もう終わらない。えんえんと会話内容を書いて行くことになる。

 おれはテープ起こしマシーンか。


 キーボードはラクだ。

 特に売文業にとっては、文字数が原稿料のひとつの目安にもなるから、簡単に文字数が増やせて推敲できるキーボードはまだ手放せない。


 しかしキーボードは、実は整理するのがニガテだ。

 プログラムでさえそう。


 プログラムなんて絶対に整理しなければならない、した方がいい、絶対にするべきものの一つであるのに、キーボードでプログラムを書くと整理されるどころかどんどんデータが増えて行く。


 それを解決するには、ドメイン固有言語を定義したりするしかなく、それを読取るのも書くのも特殊な訓練が必要なシロモノになってしまう。


 たとえばLISPは美しい。

 しかしその美しさは、あくまでもキーボードで入力可能な論理構造というものに限定した美しさだ。

 Haskellも同様に美しいと言えるかもしれない。

 しかしそれも同様だ。


 JavaScriptは、美しくはない。ただし自然に書ける。


 僕にとってプログラムを書くことはカナ漢字変換に似てる。

 カナ漢字変換が、頭のなかにある日本語をコンピュータに転送するための作業だと考えると、プログラミングは頭の中にある論理構造を、そのままコンピュータに転送するための作業だ。


 しかし論理構造、つまりロジックをコンピュータに伝えるのに、キーボードを使ってプログラミング言語に落とす必要は本当にあるのだろうか。それについてはかなり疑問だ。


 なぜたいていのプログラミング入門者がキーボード入力で躓くか。

 キーボードには109のキーがあるが、普通のユーザは26文字のアルファベットとわずかな記号、そしてエンター、スペース、エスケープといった基本的なキーしか使わないからだ。


 普通のユーザは109ある日本語キーボードのうち、その半数以下しか使わない。

 「.」と「,」の違いなんて気にもしないし、「:」と「;」が違うことすら意識してない。


 しかしプログラミング言語はこれらの記号を徹底的に駆使する。

 初心者はこれらの記号を読めないし打てない。

 だから躓く。


 僕が成蹊大の授業でJavaScriptを教えた時も、彼らはTABの使い方さえ知らなかった。

 知らなくて当然なのだ。TABキーは、せいぜい使ったとしても、Alt+Tabくらいでしか使わない。


 インデントなんて、理解の遥か外にある。


 こうした記号を駆使してプログラミングすることは、右クリックすることよりも遥かに複雑で、難しい。


 Macの右クリックはCTRLキーで代用できるが、「.」と「,」、「:」と「;」を打ち分けるのは読み方と打ち方を覚えるしかない。


 これは人間の側を訓練するという古典的なアプローチである。


 しかし右クリックもできないような人が頭の中にある論理構造をプログラミングとして表現できるようになるとすれば、それはもっと素晴らしい。


 つまり環境の側が人間に歩み寄るというアプローチをもっと模索しなければならないと僕は思う。

 それには今のMOONBlockだけでも不十分だ。


 もっと根本的なアイデアが必要だと思う。