THE長文日記

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エンターテインメントと OK GOの 「アイ・ウォント・レッチュー・ダウン」

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 世界中の話題をさらった OK GOのプロモーションビデオ、 「I Won't Let You Down」

 そのクリエイティブ・ディレクターを務めたのは電通出身の原野守弘さんとご飯を食べる機会に恵まれた。


 というか、実は花見会で会ったことがあるらしいんだけど、僕は酔っ払っていてすっかり記憶を失っていた。


 人間と人間で剥き身のまま会う時と、作品を通して相手を知ってから会う方が印象がぜんぜん違う。

 とてもソフトでスマートな方だった。


 僕は仕事柄、いろんな人と出会うし、いろんな人の話も聞くんだけど、人間としてインパクトがあっても、作品は作ってないか、作っていても印象に残らない人も少なくない。それに比べるとやはり圧倒的な作品を作ったクリエイターに直接会える機会というのはとても少なくて(もちろんそれは圧倒的な作品が少ないからというのもあるけど)、そういう意味で原野さんは今年最も注目すべき映像作家だと思う。


 ちなみに原野さんは「森の木琴」という作品でも有名。

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 この作品を見た OK GOのメンバーが「次のPVをぜひ一緒にやりたい」と原野さんを口説いて今回のプロジェクトがスタートした。


 スポンサーありきではなく、スポンサーを探すところからスタートして、ドローンは今回の撮影のために特別に作られた特別製 (スペックなど詳細は極秘 )。


 日米で 1000万 PVを集めるのに数日しかかからず、 OK GOの過去のプロモーションビデオの中でも最速。とにかく「誰も見たことがないビジョン」を実現する情熱がすごい。


 僕はエンターテインメントという言葉が入った会社を経営しているんだけど、エンターテインメントという言葉にはとても拘りがある。


 エンターテインメント (entertainment)は名詞化された動詞で、元の動詞はエンターテイン(entertain)であり、これは「人を楽しませる」という意味になる。語源は古代フランス語のentretenir、「話しかける /維持する」だという。


 つまり意訳すれば、古代フランス語において、話しかける状態を維持する、すなわち一方的に話をするような状況がエンターテインの元になっている。


 ウェブスター辞書によれば、 enter(入る )-tanable (維持する )の合成語らしい。人の心に入り込み続ける、ということだろうか。


 一方的に話をしながらも、観客の興味を維持するのがエンターテインメントだと考えれば、納得も行く。


 僕が「これはエンターテインメントだ」と判断する基準は、「もう一度見たいと思うか」どうか、ということ。


 自主映画でも小説でも、ブログでもいいんだけど、観客がその作品をもう一度見たいと思えばエンターテインメントと呼んでいいと思う。


 反対に、もう一度見なくてもいいや、むしろ見たくない、という類のものは、エンターテインメントではないと思う。


 その意味では OK GOのプロモーションビデオはどれもエンターテインメントだ。僕は 「I Won't Let You Down」は 40回以上見た。恐ろしく中毒性がある。


 しかし普通に疑問に思った。


 「でも、 OK GOはフルコーラスの PVを無料で Youtubeで公開してるわけですよね ?それでどうやってビジネスにしていくんですか ?」


 「ああ、彼らはライブを毎週やっているんですよ。しかも全米各地で。ライブをやって、バスで移動して、またそこでライブをやってっていうツアーを組ん でるんです。メンバー四人と運転手、マネージャのたった六人でね。 CDも売ってるし」


 ああなるほど。

 むしろ観客は同じ曲が聞きたいんだな、と思った。


 繰り返し聞きたい、というエンターテインメントの根本にたちもどれば、エンターテインメント・テクノロジーの本質は「繰り返せること」にほかならない。


  iTunesで曲を買うのも、ライブに行くのも、「繰り返し再生」するための権利だ。


  DVDを買うのも、映画館に同じ映画を何度も見に行くのも、やっぱり「繰り返し」するための権利を買ってるのだ。


 すごい劇団のすごい演技を見た帰りは、その劇団のDVDが欲しくなる。

 見逃してしまったかもしれないポイントを繰り返し見たくなる。


 でも劇団は DVDを安易に作ったり売ったりはしない。

  DVDで繰り返し見られるよりも、劇場に足を運んでほしいからだ。


 繰り返される、しかしその場限りのエンターテインメントを楽しんでほしいから。


 宝塚は素晴らしいが、 それが素晴らしいのは繰り返し見に行きたくなるからだ。

 宝塚の熱心なファンは同じ公演を何度も見に行く。同じ演目で同じ公演をしているのに何度も見に行くのだ。


  OK GOは全米各地をツアーバスで巡りながら、その場限りの、しかし繰り返されるメロディを奏でる。

 

 新しい曲に出会いたい人は、ひょっとするといるかもしれない。

 けど、知らない曲を聞きたい人、というのはあまりいない。


 以前、サンボマスターが日比谷の野音で演奏するというから誘われて聞きに行ったんだけど、それほどファンでもない僕は雨の中声を張り上げるサンボマスターの歌声が雑音に聞こえて仕方なかった。ここに来てる人たちは、たぶん家でさんざん CDを聞いてるんだろう。僕は初めて聞く曲ばかりでいまいちノレなかったんだけど、最後に「世界はそれを愛と呼ぶんだぜ」がかかった時にはテンションが急に上がった。僕はこの曲しか知らなかったのだ。


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 その後、僕の大好きなテレビ番組「ゴッドタン」とのコラボで「孤独とランデブー」という曲ができて、これも名曲なので大好きになった。けど、最初にこの曲を聞いたのは映画館で「キス我慢選手権 THE MOVIE」のエンディングとしてだった。


 しかし人間というのは便利というか不便というか、本当に全く同じものばかり繰り返し見ているとそのうち飽きてしまう。だから少しだけでも変化があるとまた聞きたくなる。つまり繰り返しが見たいんだけど完全な繰り返しでは飽きてしまうのだ。

 

 同じアーティストの曲を他にも聞きたくなるのは、完全に同じメロディではなくても、同じ声、同じ歌唱法でやはり繰り返しになるからだろう。

 クリエイター職の人は、好きな映画や音楽をヘビーローテーションで繰り返し見続けるのが平気というか、むしろ積極的にそうしたがる人が多いように感じる。全身全霊で最後の 1ビットまで、そうした作品の機微を感じ取ろうとする。


 当然、 PVを作ってる人なんかは、タイミングの調整やらなんやらで繰り返し繰り返し、自分の作品を見る。何度も何度も自分の作品を見て、それでも飽きずにひたすら何度も微調整して、最後の 1ビットまで感じ取って、コントロールしようとする拘りこそが、クリエイティビティの源泉なのかもしれない。


 原野さんからは、 OK GOのプロモーションビデオ制作に関して、表面上のことだけでなく「そこまでするの !?」というレベルの細かい調整や拘りなんかを聞くことができたんだけど、それをここに書くのは野暮なので僕の心にとどめておく。


 けれどもやっぱり本当に作品に対する集中力というか情熱がまるでメーサー殺獣光線車のように凝縮して、仕事に集中してる人なんだなあと思った。


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 原野さんは 「HOTEL JAPAN」というギフトショップも経営してる (http://hoteljapan.jp)。

 これがすごく素敵なお店で、原野さんが世界中から集めたちょっとヘンなものがギフトとして売っている。


 上の写真は金属製のゴム鉄砲。セミオートマチックの 8連発銃。 27,000円。

 バカバカしいよなあと思いつつ、なにか男の子マインドをくすぐられるものがある。

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 これはガンプラで作られたネックレス。54,000円。

 

 神宮前にお店があるというので、今度行ってみようかな。

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 モノというのは、それを触ったりだとか眺めたりだとかするだけで、ある種の繰り返し性がある。

 人間を含めた生物というのは、変化し続けることから逃れることができない。


 変わることを宿命付けられた我々のような生命体は、変わらない無機質なものに本能的に心を惹かれる。「変わらない」ことの確認のための「繰り返し」であり、「普遍性」または「不変性」を獲得した歌や演劇やモノを確認して安堵する。


  Youtubeも映像再生のメディアというよりも、繰り返しのためのツールと解釈したほうがよさそうだ。

 そうすると、ビデオデッキやテープレコーダーが一般に普及する前の世界というのは、なんと繰り返しに飢えていたことだろう。


 そのための叡智、繰り返しと不変性の獲得のための仕組みが、たとえば楽譜 (スコア )であり石版に刻まれた詩であり、パピルスに描かれた死者の書であり、聖書だったのかもしれない。