THE長文日記

長文とか短文とかのクレームは一切受け付けません

エンジニアにTOEICは要らない

エンジニアを目指す若者から「英語は必要ですか」と聞かれることがある。

最近の答えはこうだ。



 「英語は必要だ。ただし中学生レベル。TOEICは必要ない。特にエンジニアには」



TOEIC650点以上じゃないと減棒されるという噂の某社でも、カナダの企業と上手く仕事ができてるとは思えない。つまり英語力がどれだけあったとしても、実際の仕事ができなければ意味はない。当たり前のことなのになぜ日本にはそれが解らない人が多いのだろうか。


じゃあ例えば日本人が外国人を雇うとき、日本語能力検定を見て雇うのか、ということだ。

日本人を雇うときでもいい。日本語が不自由な日本人なぞいくらでもいる。会話自体が苦手とか、表現が苦手な人間は山ほど居る。そういう人間は会社で働くべきではないのか。


組織にはダイバーシティ、つまり多様性が重要だ。

均一な能力を持った人間だけを集めても、新しい可能性は産まれない。

全員がグラフィッカーの会社はゲームソフトを作ることができない。当たり前のことがなぜ見過ごされるのだろう。全員がピッチャーの野球チームは絶対に勝てない。ちょっと考えれば解るはずだ。全員がキャッチャーでサードでもダメだ。


バッティングはほとんどの選手が行うものだから、という理由でピッチャーにまでバッティング能力を求めたら、それは平凡以下のピッチャーと平凡以下のバッターをあわせた中途半端な存在になる。プロのピッチャーがバッティング練習ばかりに精を出したら翌年の契約更改は難しくなるだろう。


人間の時間は無限ではない。なにかを学ぶということは、ほかの何かを学ばないということだ。

全員に英語力を要求すれば、全員の専門性がそれだけ低下する。


それぞれがそれぞれの長所を伸ばし、尖らせた上で、それをまとめるのに特化した人間が適切な人員配置をコーディネートする。それが組織の強みであると僕は思っている。


最近、会ったこともない人とSkypeで会議したり面接したりすることが増えた。

相手は様々で、海外の調査会社だったり、投資家だったり、エンジニアだったり、起業家だったりする。

UEIにはテレビでSkypeができる専用の会議室がいくつか用意されているのだが、相手はカメラさえ持っていないこともある。そうすると相手の顔が見えないまま真っ暗な画面を相手に会話することになる。しかも複数人同時に。


そういう中で英語を聞き分けるのは恐ろしく難しい。

誰が誰やらわからない。


そのうえ、それぞれ発音に癖がある。

いちどドイツからの留学生、ケビンと一緒にSkype会議に臨んだときは、頭が破裂しそうになった。


ケビンは日本に来たばかりで日本語がよくわからない。

特に早口の僕の日本語を理解するのにちょっと苦労する。


すると話がどんどん進んでしまってついてこれない。

確かに、いくら英語ができたとしても、日本語と英語、頭の中はたぶんドイツ語、会話の内容はプログラミング言語、さぞ混乱することだろう。


僕もだんだん何をしゃべってるのかわかんなくなって、結局、日本語しか喋れない。

しかもビジネス用語には中途半端な英語が含まれていて、たとえば「グリーディ(貪欲)」とか「アグリーメント(契約)」とか。


日本に来たばかりのドイツ系留学生に日本語とカタカナ英語と英語の対応を覚えろというのは無理がある。

それでさらに話がわけわかんなくなって、結局英語ができる社員が一人で対応するというカオスな展開になってしまった。


これだけの苦労があるにも関わらず、僕は英語の専門的な勉強をしようと思わない。英語の複雑な表現は専門教育を受けた、英語ができる人に任せればいい。

まあ趣味のようにしてどこか英話学校に通ってみてもいいとは思っているけど、TOEICのために勉強しようとかは微塵も思わない。


なぜか。

僕はエンジニアだからだ。



別の国際会議では恐ろしく専門的な用語が飛び交い、今度はその場では唯一のエンジニアだった僕しか理解できない。エンジニアと会話すると、ホッとする。まるで長年の知己であるかのように懐かしい言葉が飛び交い、故郷に帰ってきたような気がするのだ。


専門用語が会話の50%以上を占めるようになると、英語表現や文法に詳しいよりも専門用語の細かな関係性を知っている方が会話しやすくなる。そのときにそれほど複雑な表現や文法は出てこない。ルー語でいい。

英語が全くできない僕がシアトルの会社で副社長ができたのはこういう理屈なのだ。


ある外国語が出来る、という言葉には複数の段階がある。


・なんとなく読める

  建物の出口がどこかわかる

  技術文書が読める

・なんとなく喋れる

  外国系航空会社で機内サービスの時に「ビーフ or チキン」を聞き分けることができる

  水なのかジュースなのか、ラムのコーラ割りなのか、注文できる 

・なんとなく表現ができる

  店員などに「How are you?」とか「May I help you?」と聞かれて返事ができる

・自信を持って注文できる

  マクドナルドやレストランなどでミスらずに注文できる

  海外のタクシーなどでちゃんと目的地を指示できる

・世間話ができる

  海外のスーパーマーケットなどで買い物しながら店員と世間話ができる

・質問に答えることができる

  展示会などで質問されて答えることができる

・質問ができる

  海外の学会などで質問することができる

・議論ができる

  ある事柄について真面目に話し合うことができる

・記事が書ける

  おもしろおかしく文章が書ける

・意見を主張し、喧嘩できる

  クレームをつけることができる

・契約交渉ができる

  契約書を読み、取り交わすことができる。



なんとなく、上から下にいくに従って難易度が上がりそうだが、実はそうでもない。

契約交渉は契約書が読めさえすればいいし、そもそも細かな内容はたとえ日本語で書かれていたとしても弁護士を通さなければ行けない。だから外国語の契約書を取り交わすというのは、実は一番簡単な部類だ。喧嘩するのも実は難しくない。怒る時は日本語でも怒ってるという感情は伝わる。詳細は別にいい。どうせ怒ってる人間の言ってることなんか中身なんてない。何に怒ってるか示したかったら、指を指せばいい。


昔、海外の会社で余りに上級副社長のせいで部下が泣き出してしまったことがあった。平の副社長だった僕は、上級副社長の部屋に肩を怒らせてズカズカと入り、言った。


 「She is crying」


すると上級副社長は答えた。


 「Why?」


僕は彼のオフィスの壁をバン、と殴り、指を指した。


 「Because you」


ほぼルー語だ。

中学生で習わない単語は使ってない。これで充分、怒りは伝わった。

上級副社長は泣かせてしまった社員に謝罪し、その場は丸く収まった。


議論ができるためには相当な表現力が必要と思われがちだが、自分の意見をしっかり持っていればルー語でも意見は表明できるし、相手の言ってることが解らなくても、相手に説明したいという意図があれば、わかるまで繰り返し聞くことで解るようになる。まあ技術者ならつまるところ数式かソースコードを見せ合えばいい。


実は技術者にとっては数式とソースコードこそが英語より遥かに強力な世界共通語であり、JavaScriptが読み書きできるということは、世界中に何億人といるエンジニア達と会話できる可能性があるのだ。


あとはぶっつけでなんとなく通じる。

留学経験のない高橋君がGDCSIGGRAPHで立派に説明員の役割を果たしたのは彼がエンジニアだからだ。


ごくわずかな専門用語の英語(外積→Cross product、内積→Dot productなど)を覚えるだけで世界中のエンジニアと会話できるのだ。


逆に難しいのは世間話をしたり、あやしまれずに入国審査をくぐり抜けることだったりする。


結果、英語とJavaScript、どちらがより「実用的」な言語かということになる。


シェークスピアを目指すのでもない限り、TOEICが想定するような英語力は技術者にはまず不要だと僕は思っている。


デーブ・スペクターの日本語は見事だが、訛りで彼が生粋の日本人でないことはすぐに解ってしまう。しかしそれで何か問題があるだろうか。


日本人が海外に行く場合も同じだ。完璧な英語を操るアジア系アメリカ人は無数に居るが、重要なのは発音や文法ではなく、話の中身だ。日本語を喋る外国人だってたくさんいるけど、デーブ・スペクターがテレビに出てるのは、彼に中身があるからだ。


エンジニアなら、英語の勉強に時間を使う暇があったらプログラミングの技を磨いた方がずっといい。

中身のあるエンジニアなら、向こうから興味をもって聞きにきてくれる。そのとき多少ヘタクソでも関係ない。


来るべき時がくれば、必要最低限の英語はすぐに使うことができる。


それにプログラマーというのは、新しい言語を覚えるのはほかの職業の人よりも得意なのである。それが普段の仕事なのだから。