THE長文日記

長文とか短文とかのクレームは一切受け付けません

エンターテインメントのポリモーフィズム。または男と女。カールじいさんのネタバレ注意

あるとき、自社のゲームで遊んでいて「これとこれとこれのストーリー、これは実に良く書けていたね」とコンテンツビジネス部の人間に声を掛けると、彼はニヤリとして「実はこれ、全部同じ子が書いたんですよ。実際、彼女のシナリオは人気もあるんです」と言った。


そうしてARCに送られてきたRさんは(うーん、この会社はHとRが異常に多い)、驚いたことに学生のアルバイトだった。


ちょうど難航していたプロジェクトがあって、そのシナリオを誰かに任せたいと思っていた僕は、さっそく彼女に下書きを頼んでみることにした。


最初は専門用語が解らず難航していた執筆作業もコンスタントに進み、僕を一年以上にわたって悩ませ続けた物語はRさんの手によってあっと言う間に完成した。

もともと、いろんな人が好き勝手に言ったアイデアを一本の物語としてまとめあげるだけでもかなり大変なのに、キャラクター造形は深堀りされ、物語のつじつまは完璧なまでに整合性がとれていた。こんな離れ業は、僕はもちろんのこと、社内の誰にもできないことだった。台詞回しも軽快で、テンポよく読めて、楽しくなってしまうような物語だ。


これを才能と言わずしてなんと言えばいいのか。


ただひとつ、重大な問題を除いては。

それは物語に盛り上がりがないということだ。

クライマックスがどこなのかわからない。これではいくら読みやすくて楽しくても何も残らないものになってしまう。


そこで盛り上がる物語とはどういうものなのか、ということをみんなで考えてみることになった。


「盛り上がり感」を説明しようとするとき、最近好んで使う例に「カールじいさんの空飛ぶ家」がある。

これはピクサーの作った傑作映画で、全編泣けるというすごい映画だ。

テレビで流れた冒頭の10分で既に号泣してしまう、というすごい演出力で観客をぐいぐい引っ張っていく映画なのである。


もし、「カールじいさん」をまだ見てない人が居たら、以下はネタバレになるので読まないように。



カールじいさんの最初の10分は、幼少期のカールがエリーと出会う場面から始まる。活動的な女の子であるエリーは、「私の夢はこれよ」とスケッチブックをとりだす。大きな滝のある崖に家を立てること。その先のページをめくると「これから冒険の記録を記す」と書いてある。

無口だが冒険家に密かなあこがれを持っていたカールはエリーに一目惚れし、それから二人は一緒に育っていく。

エリーは遊園地のジャングルクルーズの添乗員になり、カールは同じ遊園地で風船を売る仕事につく。

エリーとカールは結婚し、幸せな生活を送る。二人は働きながらいつか冒険する日を夢見て貯金を始めるが、カールがぎっくり腰になったり、生活費がかかったりとなかなか貯めることができない。やがて、エリーが流産し、子供を産めなくなってしまい、しばらく絶望する。それからも二人は楽しく暮らすが、カールはエリーが幼い頃に描いたスケッチブックをときどき開いては、「これから冒険の記録を記す」のページを見て、ため息をつく。あっというまに老いたエリーとカール。一念奮起してカールは滝へ行くツアーの航空券を買う。しかしエリーは病に倒れ、そしてとうとう他界してしまう。カールは深い悲しみとともに、再びスケッチブックを開いて涙を流す。


これで約10分。

たった10分の間に、人生の喜びと悲しみのすべてが詰まった凄いイントロダクションだ。

こんなに凄いイントロダクションは少なくともこれから向こう10年は産まれないだろう。

しかも台詞はほとんどない。

カールの台詞など、エリーと出会ったときの「ワーオ」しかない。


この映画は何人かの社員で映画館まで見に行ったのだけど、この10分の間に両隣で鼻水をすする音が凄かった。

さて、このシーンで泣ける理由は何か、というのをRさんを含め、女子社員数名に聞いてみた。


すると、大半の人から「せっかく幸せだったのに、エリーが死んじゃった」という答えが帰ってきた。


僕はこれには多いに違和感を感じた。そこで数名の男子社員にも聞いてみた。

すると僕の期待通りの答えが返ってきた。


「カールは結局、エリーを幸せにしやれなかった」


そうなのだ。

全く同じ物語、同じように泣ける場面を見ているはずなのに、男女で解釈がこれほど違うのだ。


僕を含めて男性視聴者の心に強く残ったのは、カールがたびたびスケッチブックを開いてはため息をつく場面だ。これは男なら身に染みてわかる。好きな女と交わした約束を果たせない。初恋の人と結ばれているのであればなおのことだ。自分の甲斐性のなさに情けなくなり、ついには最愛の人を喪ってしまう。約束が永久に果たせなくなってしまうのだ。


ところが女性から見ると、それでもカールに寄り添っていたエリーは絶対に幸せだったはずだと疑わないのだ。僕は女性ではないからこの感覚を心で理解することは永久にないだろうが、そういうことらしい。


ここはカールの無力感がツァイガルニック効果を使って表現されている。

人は完成されたものよりも未完成のものに強く惹かれる傾向がある。恋愛ものなら、関係が成立するまでのすったもんだだ。


カールの場合、恋愛としての目的は既に達成してしまっているので、次なる部分は「夢の実現」というものになる。そして結局、物語はカールによる「夢の実現」とスケッチブックを軸に進んでいく。


そして物語の最後の最後で、カールはスケッチブックの先のページをめくり、実はエリーとの平凡な暮らしこそが、実は彼女にとっては素晴らしい冒険の日々だったのだと知ることになる。この構成ずるいよなあ。エリーも人が悪い。生前見せてくれればカールもこんなに悩まなかったろうに。


女性に聞くと、この部分は「ああ、幸せだったのになあ」という感じで感動する部分らしいのだ。僕にはさっぱりわからない。


何が言いたいのかというと、男女では全く同じコンテンツを見ても見てる場所がぜんぜん違うということ。

これをコンテンツのポリモーフィズムと呼ぶことにしよう。


とはいえ、こうしたことを意識して物語を作ってる人は少ないのではないかと思う。

というかそんな作り方はかなり難しい。


だから物語には男の子向けと女の子向け、自然と二つの系統ができるのかもしれない。

男女両方に楽しめる作品というのは、少なからずこうした男女の感じ方の違いを意識して物語が作られているのだろう。


男の子向けの作品に登場するヒロインに嫌悪感を持つ女性は少なくない。

反対に女の子向けの作品に登場するハンサムなヒーローに違和感を持つ男性も居るだろう。

そういえばあるとき、


 「少女マンガ読みなよ」


と女性に言われたことがある。

なんで?と聞くと


 「少女マンガに出てくる男の子みたいに振る舞えば、モテるよ」


と言われ、なるほどその発想はなかった、と膝をたたいた。

確かに、少年マンガに出てくるような振る舞いをする女の子が居たら、ルックスのことは置いといて、なにか気になる気がするものだ。


なんかやたら着いてくるとか、やたらツンデレとか、普段かけてるメガネ外すと美人とかまあ萌えシチュエーションというのは男の場合はたくさん思い浮かぶが、女の子目線のものはあまり思い浮かばない。


普段は不良ぶってるけど、実は雨の中濡れた子犬を拾ってやったりとか???

NANAとかみると、とてもあんな男にはなれそうにないが、そもそもハチとか見ていてイライラする(これが男女の認識の差というやつか)。


とりあえずカラオケで歌うとモテる定番曲でも研究しておくか