THE長文日記

長文とか短文とかのクレームは一切受け付けません

コンピュータ科学者のオリンピック

f:id:shi3z:20120807004015p:image:w500

いよいよSIGGRAPHが始まった。

と言っても、僕の出番は明日から。


SIGGRAPH、シーグラフと発音されるが、シググラフと呼ぶ人も居る。

もともとはACM、アメリカ計算機学会のSIG(スペシャル・インタレスト・グループ)のひとつだったが、コンピュータグラフィックスがコンピュータの最先端を意味するようになってから、研究者はもちろん、ゲーム、映画の制作者、アーティスト、ユーザーインターフェースの研究者なども入って来て、今やコンピュータ科学者のオリンピックとも呼べるような世界最大のイベントになった。


このエントリーは、そういう意味ではオリンピックに出場できないけどオリンピックが大好きないちスポーツファンの戯れ言であると思って軽く流して欲しい。小倉さん的な立ち位置というか。もちろん全出場者には敬意を持っている。でるだけで凄いんだから。この94人というのは、現時点で世界で最高の頭脳を持った94人であることは間違いないし、疑いようもない。


特にSIGGRAPHで授与されるスティーブン・A・クーンズ賞は、世界最高の栄誉であるチューリング賞についで名誉ある賞とされ、その受賞者はインタラクティブコンピュータとVR、ARを発明したアイヴァン・サザーランド、ベジェ曲面の発明者、ピエール・ベジェ、Zバッファ法の発明者で現Pixer会長のエド・キャットムル、環境マッピングバンプマッピングの発明者、ジム・ブリンなどが居る。


学会と呼ばれるものは数あれど、SIGGRAPHほど多彩な顔ぶれで科学とアート、そしてエンターテインメントが一同に会するお祭りめいたイベントはちょっと珍しい。

f:id:shi3z:20120807005309p:image

ファストフォワードというセッションでは今回採択された94の論文と、その他の発表者が一人あたり45秒程度でプレゼンテーションを行う。もっと詳しく知りたかったら、セッションを聞きに来てね、という趣向だ。

プレゼンテーションは手書きありダンスあり、ジョーク満載の雰囲気で、なるほどこれが世界の学会か、と唸るものだった。


毛糸による編み物のリアルな物理シミュレーション(ふんわり柔らか仕上げ、という感じが本当にシミュレートできる)や、間接付きモデルを3Dプリンタで出力する方法、HDR対応プリントアウト、状況に応じて勝手に動く人間の動きや、人間の手書きスケッチを学習し、3D物体から同じタッチで絵を描くアルゴリズムなど、今年も確かに「すげえ」と唸るネタばかりではあるのだけど、この分野は未踏領域を探すのがどんどん難しくなっている。


今や無限に近い計算能力を有したコンピュータをどう使うかということが問題になっており、それだけ計算量のあるシミュレーションなりレンダリングなりをどう想像するか、というイマジネーションの問題に掛かっている。


いつだって限界は人間の想像力なのだが、70年代から80年代のあの「コンピュータが安くなればあんなこともできる、こんなこともできる」という夢いっぱいの時代から比べると、今やコンピュータは水洗トイレにすら当たり前のように使われており、赤ん坊さえなにもわからなくてもiPadで遊ぶことが出来る時代だ。


「コンピュータ」というものがあまりに当たり前になってしまったので、逆に想像力は制約を受けるのである。


たとえば「ティーシャツ」に革新を起こそうとすると、どんなアイデアが浮かぶだろうか。

穴を空ける? 素材がゴアテックス? 透明なティーシャツ?

どれもこれもティーシャツの用は満たさなくなってしまう。


既にTシャツはかくあるべし、という固定観念が出来上がっており、Tシャツはこれから100年は革新が起きないかも知れない。実際、スピーカー付きのTシャツや、iPodリモコン付きのTシャツがないわけでもないし、ウェラブルコンピュータとしてのTシャツにはまだまだ可能性があるとも言える。


しかし残念ながらコンピュータはまだそこまで安くないから、使い捨てにしたりするのは難しい。

それに電子ペーパーが胸に張り付いたTシャツがあるとして、それを来たいと思わせるのは難しいような気がする。


でももしかすると、Tシャツへのカラーのシルク印刷が可能になった時に、「看板じゃあるまいしそんな服誰が着るか」と思った人もたくさん居たかも知れない。


だから少しずつ、印刷されていないTシャツが見慣れた人にも好感が持たれるようなデザインから始めたのかも。


それならLTE回線とCPU、タッチディスプレイ内蔵のTシャツに全く見込みがないというわけでもないだろうけど、肝心の着用者自身がディスプレイの恩恵に預かれない。なにか凄い活用法があるかもしれないが、いまのところはあまり思いつかないね。


今のコンピュータグラフィックス学会というのはだいたいこんな感じに見える。Tシャツにイノベーションを起こすのが難しいように、成熟した学問分野に新たに革命を起こすのはたいがい難しい。


それでもコンピュータグラフィックスはまだTシャツよりも可能性がある。

それはフォトリアリスティック(写実性)の追求という命題がずっとあるからだ。

オリンピックに記録への挑戦という命題がずっとあるのと同じように。


けど、サザーランドが極めて大掛かりなシステムを用いてヘッドマウントディスプレイを作ったような、ああいうブッ飛んだ研究は、なかなかでてこない。まあそんな滅多やたらとでてきたら、そもそもサザーランドだって評価されてないわけだろうけど。


これからコンピュータの研究者として、なにか凄いことをしたかったら、誰も考えつかないようなブッ飛んだことをしなけりゃならない。


ところが実際にはそういうブッ飛んだ研究をしてる人というのはなかなか表にでてこないし、学生から見ても見えにくいのが現実。


そうすると自分の指導教官に言われるがまま、まあなんとなく始まって何となく終わる研究を地道に続けることになる。それが悪いというわけじゃない。ただブッ飛んでないんだ。ブッ飛びすぎてると、査読を通らないのかも知れないけどね。


単なる観客の野次ではあるけれども、世界最高の学会では世界最高にブッ飛んだものが見たい。

そういう意味では、今回のファストフォワードは、ちょっとだけガッカリだったかな。

期待したものが見られなくて、というよりも、期待を裏切るものが見られなかった落胆が大きい。


全体的に小さくまとまった研究が多いように感じた。

ポール・デベベックのイメージベースドレンダリング(IBR)やハイダイナミックレンジイメージ(HDRI)を初めて見た時のような衝撃、とか、まあそんなものはそう毎回あるものじゃないと解りつつも。


逆にあそこまでやってしまうと、超ひも理論が物理学を終わらせる、と世の中を騒がせたように(実際には終わらせることはなかったが)、IBRやHDRIがCGを終わらせてしまうのかもしれない。けどそれも10年も前の話で、そろそろ革命的なアイデア、というやつを見てみたい。


完全に他力本願な話ではあるけどね。


初日のセッションでは、昔ながらのモーションキャプチャー研究者が、Kinectの開発者とWiiの開発者、そしてPlayStation Moveの開発者の三人をディスりまくるというものがあったらしいと伏見くんが言ってた。


で、その気持ちはわからんでもない。

まあディスるのは完全にお門違いだが、モーションキャプチャーといえばもともとはデータグローブやデータスーツに始まり、本当は仮想空間に入り込むための技術であって、間違ってもカメラを使って人間の動きを大雑把に検出するものじゃない。


ただ、今の技術で家庭用機向けに実現可能なギリギリの方式としてのモーションキャプチャーとしてKinectWiiの方式は完全に正しいと思う。


けど、データスーツに比べてその方式には夢がない、という気持ちも解る。

データスーツやデータグローブの頃に考えられていたのは、「仮想空間への完全な没入」である。


モーションキャプチャーの研究者は、極端な話、モーションキャプチャーなどしたくないのだ。

脊椎にチップを埋め込んで、それで運動信号を検出して体をまったく動かさなくても仮想空間の身体感覚を得ることが出来ればそれで満足だろう。


ついでにいうと、Kinectの方式ではフォースフィードバックができない。WiiPlayStationMoveの方式はバイブレーターをつければフォースフィードバックできるが、Kinectでは無理だ。これも古くからのVR研究者は気に入らないだろう。


小型の核融合炉を作ろうとしているのに、ヤカンで代用されたような、そんな気持ちなのかもしれない。

確かにヤカンでも核融合でもお湯を湧かすのに変わりはないが。


とはいえ、たとえKinectに寄り道したとしても、高価で調整の難しいデータスーツでは得られなかった知見が次々と得られている事実は見過ごせないし、それがいずれ脊椎にチップを埋め込んで運動電位のシミュレートとフィードバックができるようになったときになにか役に立つかもしれない。


まあそのセッション聞いてないんで完全に妄想だけど。


でも、昔に比べてぶっ飛びが少ないとか、夢がなくなってきたよね、というのは逆に言うと夢がどんどん現実のものになってる、ということでもある。もちろんそれはいいことだ。


けれども夢を見れなくなった時代、夢を創りだすのは努力だけではいかんともしがたい。

これは科学者の仕事ではないかもしれない。いや、稲見先生あたりは「いや、それこそ科学者の仕事だ」と言うかもしれないが。


いま、僕たちには具体的な未来を描き出すビジョナリーが必要なのだ。

今や大半の技術は数十年前のフィクションを追い越している。


90年年代につくられたエヴァンゲリオンを見ると、中学生が緑色の公衆電話を未だに使っている。

そのうちケータイを買ってもらったけどあまり使われていない。

ケータイの機能と存在が脚本にもっと盛り込まれていれば、話の展開は変わっていたかも知れない。


その後つくられた機動戦艦ナデシコでは、ケータイに相当する機械が物語の展開をだいぶ変えている。


稲見先生が学生時代に攻殻機動隊光学迷彩を思わせる作品を作ったのは象徴的だ。

まさに空想が科学者をインスパイアしている。


空想と技術は両輪である。

どちらかが先行しているのならば、もう一方も回らなければならない。


アーサー・C・クラークが原作し、多数の企業と科学者たちの協力を得て、キューブリックが監督した2001年がそうだったように、クリエイターとサイエンティストは二人三脚で未来へと漕ぎ出す必要があるのだ。


それはいかに科学者が天才的な素質をもっていたとしても、個人の力量には少々余るのかもしれない。

であれば、その両方が揃った時、初めて具体的な未来像を描き出すことができるのではないかと思う。



また、本当に凄いアイデアは実は発表すべき学会がないものだ、という説もある。

そうすると学会に来て目新しいものがないと言ってること自体がナンセンスなのか。

どちらにせよ卓越したアイデアは、それを考えだした本人がそのアイデアの重要性を理解していないことも少なくない。

そうした「埋もれてしまったダイヤの原石」がそこかしこに落ちているのが、やはり学会の醍醐味でもある。


これから一週間、なにか光る研究がないか探しに行くのもまた楽しみだ。