THE長文日記

長文とか短文とかのクレームは一切受け付けません

「次世代の紙を作らなければならない」そう思ってenchantMOONを作った。その後

そもそも、なんで手書き端末を作ろうと思ったのか。
手書きが未だに残っているからだ。


こんなにキーボードは便利なのに、まだ手書きが残っている。
なぜなんだ。


しかも手書きは、キーボードで文字を打つよりも遥かに雄弁で、むしろクリエイティブな気さえする。
その秘密を解き明かすために、手書き端末を作ってみた。


enchantMOONと呼んだそれは、まさに手書きとプログラミングへの狂気の産物だった。


いろんなことがありながら、それを作り、売り、そして出会いがあった。
特に北野宏明さんとの出会いは衝撃的だった。彼は僕が手書きに拘っているのを見て、すぐさま「ディープラーニングをやりなさい」と言った。


enchantMOONを作ったとき、「それはいったい誰が使うのか」と問われた。
そのとき僕は「いつか人類が紙を捨てるだろうときの代わりのためだ」と答えた気がする。


しかし紙は捨てられず、僕は自分の執務室にホワイトボードを置いている。



僕の中では、画面はもっと薄くなり、紙とほとんど変わらないようになると思っている。が、現代科学は僕の期待通りに進歩してくれるわけでもない。相変わらず、有機ELは電力を食うし、バッテリーは重いし、量子コンピュータはまだポケットに入らない。


それから五年経った。


僕達は手書きを追求し続けた。
手書きには人類の英知が宿っていると信じたからだ。


その結果、僕達はまず、ヒトが手で書いた文字や記号を読取る試みをした。
enchnatMOONがなければディープラーニングに出会ってなかったし、手書きにここまでこだわりを持つこともなかったかもしれない。



それはとてもうまくいって、僕達の仕事になった。



https://www.mizuho-fg.co.jp/release/pdf/20180524release_jp.pdf



僕達は人類を野蛮な仕事から開放する。
これが人工知能に本当に求められることだ。人類にとって、本当に必要なことだ。


ここまで来れたのは、enchantMOONの夢を信じ、購入して下さったユーザーの皆様のおかげだ。
でもこれはゴールじゃない。


僕たちはもっと面白いことをする。

シニアの方々に、これからの人工知能を解く・・・何を話せば・・・

基本的に講演のたぐいは断っている。きりがないのだ。


しかしなにかのしがらみで、シルバー大学というところで講演することになった。
銀の大学ではなく、シルバー世代のための大学、という組織である。



このシルバー大学の事務局の方が非常にマメな方で、何ヶ月も前から繰り返し少しずつなにかの進捗を送ってきてくださる。


「おじいちゃんたちは下手すると寝ちゃうのでせめて目次をください」と言われたので、普段の清水ルールでは絶対に事前の資料配布は断るのだが、まあ相手がいくら老人だろうが話の途中で寝ちゃうとすると弁士としての沽券に関わるので、とりあえず目次だけは書くことにした。


しかしこれが難しい。
普段、僕が話す相手は中高生か大学生、せいぜい40〜50代であって、「AIによってこれから世の中はこうなります」と解くのである。


そのなかには当然、「ガンを克服するかもしれません」「余命が伸びるかもしれません」という話も入るわけだけれども、ちょっと待て。それを今のシルバー世代に言うのは少々残酷ではないか。


僕自身、年代的にはAIがガンを克服する前にガンで死ぬかもしれない。
AIにガン細胞を見分けさせる研究をやってはいるが、その途中で死ぬ可能性は、僕がガンを克服する方法を見つけるよりもずっと高いだろう。


実際、ガンで死んだ同級生もいる。
お年寄りとなれば、それはもっと実感として、僕とは比べ物にならないくらいのリアリティを持っているだろう。なんなら一回ガンになって、手術でなんとか生き延びてる人のほうが多そうだ。そういう人たちに果たして無邪気に「これから不老不死が実現するかもしれません」と言うべきか。


我ながら、さすがにそこまで能天気にはなれない。


では一体全体、お年寄り達は何を知ろうとして僕の講座を受けに来てくれるのだろうか。


AIの恩恵を受けるかどうかわからない人たちに向けて、僕はどんな語る言葉を持っているだろうか。


これは意外と、簡単なようで居て難しい。
この問いを自分に投げかけたとき、この仕事を引き受けてよかったと思った。


あなたの人生の物語 (ハヤカワ文庫SF)

あなたの人生の物語 (ハヤカワ文庫SF)


映画「メッセージ」の原作、「あなたの人生の物語」は、名作である。
でも、「メッセージ」よりも、「あなたの人生の物語」という言葉の方がずっと心に響く。
内容についてはネタバレになるので言及しないが、この物語が特に素晴らしいというわけではない。


ただ、このタイトルは、とても秀逸だと思う。



トップをねらえ2の最終話のタイトルも、これを引用した「あなたの人生の物語」なのだが、ストーリーとしてはこっちのほうがずっと心に響く。ただしこの話の良さがわかるためには、トップをねらえ1と2の全話を見る必要がある。


人は生まれ落ちたあと、必ず老い、そして必ず死ぬ。
それが人類が数万年もの間、繰り返してきた摂理なのだ。


AIが産まれたとき、それは人の人生にどのような影響を与えるのだろうか。
それを知るためには、AI以前のテクノロジーが人の人生にどのような影響を与えたか振り返る必要がある。


たとえば写真だ。
写真が発明されたことで、人間は亡くなった人物の生前の姿を知ることが出来るようになった。
偉人はもちろんのこと、自分の曽祖父、そのまた祖父といった、生まれるとうの昔になくなった人々の記憶が残るようになった。


もっと重要なのは、出版物である。
出版物によって、人は自分の考えや思いを、自分の寿命よりも遥かに長く残せるようになった。


いつか僕が死んでしまっても、僕の著作は残るだろう。紙の本として、電子書籍として。僕が生きた証が、そこに残っていく。


その前は、組織である。
人は会社や学校、家族や国家などの組織体を作ることによって、自分の考えを残すことができるようになった。


福沢諭吉がいい例だろう。
彼は言葉として本を残し、ミームの継承体として慶應義塾を残した。


明治期に活躍した偉人といえば、岩崎弥太郎もそうだろう。彼は三菱を残した。
井深大はソニーを残し、本田宗一郎はHONDAを残した。


トーマス・エジソンはジェネラル・エレクトリックを。ベンジャミン・フランクリンはアメリカ合衆国を、アイザック・ニュートンは微積分法を、残している。


こうした組織や思想が受け継がれていくものを広告屋はよく「DNA」と呼ぶが、実際には「ミーム」と呼ぶのが正しい。DNAは生物学的な遺伝子であり、ミームは文化的・思想的な遺伝子を指す。リチャード・ドーキンスが「利己的な遺伝子」という本で提唱した。


利己的な遺伝子 <増補新装版>

利己的な遺伝子 <増補新装版>

  • 作者: リチャード・ドーキンス,日高敏隆,岸由二,羽田節子,垂水雄二
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  • 発売日: 2006/05/01
  • メディア: 単行本
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シルバー世代の方々にとって、「今」はとても短い。
年をとると感じるが、時間の流れ方が若い頃とはまるで違う。


気がつけば一年経っている。
そういう人にとって、「明日どうなるか」と「来年どうなるか」は、ほとんど変わらない質問になるだろう。それよりも、100年後にどうなるか、という話をするべきだろうか。


たとえば、50年後。


そこに座標を設定することで、僕とシルバー世代はともに「決して自分が訪れることのない未来」の想像図を共有できるかもしれない。


自分がいなくなってしまったあと、世界はどうなっていくのか。子どもたちはどのように生きるのか。
その子どもたちは。


自分は忘れ去られてしまうのか。それとも、忘れられずにいれるのか。
そもそも忘れられないことは幸せなのか。



今宵、銀河を杯にして

今宵、銀河を杯にして



神林長平、「今宵、銀河を盃にして」は「死後」の世界を描いた小説である。
実際には死んでないのだが、この作品の中では「死とは、それ以外の存在との通信が半永久的に一切遮断された状態である」と定義されている。



全ての人類にとって普遍的な疑問がある。
我々は一体どこから来て、どこへ行くのか。



その疑問に向き合う、実は貴重な機会なのかもしれない

Oculus Goがいろいろすごすぎる

完成度もすごいがコンテンツも凄い。
GearVR用のコンテンツが簡単に移植できるようになっているので、もともと豊富というのもある。

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Flappy BirdのVR版。
「誰得?」みたいなコンテンツもちゃんとあってそこがむしろ凄い。


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ガンシューティングもある。
酔わないように工夫されていてこれも面白い。
これも元はGearVR用


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最近のお気に入りはAmazeというアプリで、いろんな視差付きVR動画が配信されているサイト。
どれもクオリティが高い。

美女が目の前でダンスするコンテンツが人気なのは、洋の東西を問わない。

他にも、危険な科学実験を目のまえでやってくれる番組とかがある。

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平面の画面では絶対に伝わらないこのド迫力

ちょっと刺激が強すぎて思わずヘッドセットをとってしまうほど怖い

他にもマジックとかダンスとか高品質なVRコンテンツが続々と公開されている。

面白いのは単なる動画じゃなくてインタラクティブな要素もあること。
「女の子をデートに誘う」までのシミュレーションゲームもある。

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いわゆる選択肢を選んで次のストーリーを決定するタイプ。
何度かゲームオーバーになったものの、最後は見事デートに誘うことに成功した。


他にもDisney Movie VRとかは美女と野獣のあの場面をベルの視点で再現したりとか、スター・ウォーズのXウィングに乗り込むやつとかは女の子の夢と男の子の夢を両方同時に実現したみたいな話で興奮する。是非試していただきたい。

VR180の可能性をもっと探りたい

VR180にずっとハマっている。

この臨場感はすごい。
単なる3D動画とはわけが違う。

視差つき、視界つき、ということが体験を根本的に変えている。

とりあえずLenovoのカメラで片っ端から撮っている。
子供の写真を残しておくのにいいよ、と言うと某主婦が買おうとしたら、既に入荷待ち


まあ分かる人は分かっているということか。
しかも撮れるモノの画質も、そこまで差がない。プロ用の巨大な機材だと、いわゆる小人化を起こしてしまうだろう。
Lenovo Mirage Cameraは極めてちょうどいいのである。


小さいけど、そもそも最近のスマホに搭載されている撮影素子とレンズは、レンズカバーで保護しなくても十分な描写力と耐久性を持っているではないか。唯一難点があるとすればフォーカスか。でも基本的にVRものはパンフォーカスじゃないとおかしなことになりそうだからいいのか。


動画も編集しやすそうなところがいい。


単に左右くっついた画像だから、そのまんまAdobe Premireとかで編集できる。


いまのところ、食事や人物や仕事風景などをVR180で撮ってみているがまだまだ活用法があるはずだ。


教育コンテンツなんかいいんじゃないかと思っているんだが、VRである必要性があるかと言われると困ってしまう。あるような気もするしないような気もする。


でも例えば、プラモデルとか、紐の結び方とか、微妙なものはVR180のほうが圧倒的にわかりやすいだろう。


他にも多分もっとあるはずなんだがまだ思いつかないのが歯がゆい。
また、専用のHMDでなくても、スマホに安いVRゴーグルをつければVR180で見れてしまうというのも地味に良い。


反面、OculusGoにもDayDreamにもまだまだ視差に対応した実写コンテンツが少ないのは不満である。
もっと見たい。もっと見たいのだ。

今日はまだ木曜日

昨日はBS日テレの番組の収録に出て、パックンの頭がキレキレでこっちは台本通りに話が進まず完全にピヨった状態でダメージを受け、そのまま本郷のφカフェのイベントに参加する羽目になった。


やっぱプロのお笑いの人って凄いわ。


この疲労感でも、あと一日なら頑張れる、と思ったが、よく見るとまだ木曜日。


まだ木曜日なのかよ!!!!



つらい
まだもう一日あるなんて


連休のときはあれほど仕事が恋しかったと言うのに、いざ始まってみると仕事したくないでござるという気分になるのは、なんともかんとも。



とにかく疲労感が半端ない。
なんでこんなにつかれるんだろう。



まあいいか

「教養としてのプログラミング講座」まさかのコミック化! 作画はタテノカズヒロ氏

 子供の頃から漫画を書くのが夢だった。
 でも自分には絵の才能がない。
 漫画を書くほどの根気もない。


 しかしまさか、こんな展開が待っているとは人生とはわからないものだ。


 かつて中央公論社から発売された「教養としてのプログラミング講座」は、コンピュータをよく知らない人にプログラミングとはなんぞやということを伝えるための啓蒙書として上梓した。といっても、大事なところはだいたい中央公論の吉岡さんの巧みな編集によって書かれているので、厳密にオレの作品と言えるかは微妙なところだ。


 編集者というのは人によって仕事に大きくばらつきがあって、文字通りおれの原稿を編集する人もいれば、丸投げして誤字脱字のチェックしかしない人もいる。


 その意味で、吉岡さんはまれに見るハンズオン型の編集者で、随分助けられた。自分の乱文がよくぞこんなに読みやすくまとまっているものだとビックリしたものだ。


 さて、そんな吉岡さんから「教養〜をコミック化しませんか?」という話が来た時に「何を言ってるんだこの人は」と思った。


 そもそも「教養〜」は啓蒙書であって物語のようなものは出てこない。漫画というのは物語だから、物語になっていないものはそもそも無理じゃないか、と思ったのだがそういうことではないらしい。


 理系マンガ家のタテノカズヒロさんを紹介していただいて、タテノさんが基本的な話の構成を考える。僕は大まかなプロットと話のネタを考える、という体制で制作することが決まった。



 とはいえほとんどタテノさんが一人で書く作品である。
 よくぞこんなに厄介な話を纏めたな、と思ってしまう。


 まだ一話目が公開されただけだけど、二話目以降どうなるのか、全く展開がわからない。


 物語の舞台は業界大手の総合商社。主人公は菅晴美(すがはるみ)という社長秘書。新人派遣社員の折田ましろを指導するところから物語は始まる。



 というわけでケイクスで第一話が公開されています。
 これから新連載かあ。どうなることやら。ともあれご期待ください。


cakes.mu

GoogleのVR180が凄い

GoogleのVR180が凄い。

PlayStation VRで、しばらく遊ぶゲームがないなあと思っていた(スタートレックはさんざんやった)のだが、「もしかして:Youtube」と思い、PSVRでYoutubeを起動し、VR180で検索すると、でるわ出るわ。こいつあ凄いぜ


手っ取り早く凄さを実感したいなら、この動画がお勧め


MMD VR Test 144 [VR180]


わかりますか?
まさに動画新時代。
こんなことが本当にできるのか


別にたいして新しい技術ではないのだが、効果が抜群。


あとは


Colonia test VR180

このミュージックビデオもなかなかすごい。

生感というか、臨場感。


もっとお姉さんがみたい!という人はこれもある


FHM COVER 蘋恩/那娜|VR180環景花絮(建議配戴VR眼鏡服用)


なにが凄いのかというと、後ろ半分を切り落としたこと。
だから360ではなく180。


でもな、みんな薄々感じていたことだと思うが、そもそも360度の動画って必要か?

いや、あればいいよ。あればあったでいいのは分かるんだけど、そんなにいるか?というと別にいらないんじゃないか。

そんな常に後ろとか振り返りたくないでしょ。疲れるし。


HTC Viveのような完全な没入体験をするVRもまあ、いいんだけど、さすがにちょっと疲れる。
コンテンツをクリエイトするときはHTC Viveでもいい。だけど、消費するときはカウチに座ってリラックスした状態で見たいじゃない。


そうすると、コンテンツは前半分あれば十分なんだよね。


そしてコンテンツを前半分にすることにより、2つの利点がある。


ひとつは、データ量を増やせること。
360度が単純に半分になるわけだから、データ量は二倍。それで解像度を稼げる。これはひとつかなり大きい。ついでにいえば、スティッチをしなくていいので、処理能力もほとんど必要ない。リアルタイム中継すら簡単だ。


もうひとつのメリット、それは従来の撮影フローをそのまま使えることだ。


360度動画の問題点は、演出しづらいということだった。
要は、カメラマン、照明さん、音声さん、監督、といった、いつもの撮影チーム(テレビ業界ではこれをチェインという単位で呼ぶ)が360度カメラだと写り込んでしまう。そのため、どうしても演出に制約が出来てしまうのだ。


360度動画をエンターテインメント作品にして、ちゃんと成立させるのは無茶苦茶難しい。
そもそも主観視点なのか客観視点なのかによっても作品の作り方が変わるし、大半のVR動画は主観視点ものだから、そもそも自分がどういう台詞を喋るのかということすら問題になる。


ゲームの世界では古くから、ドラクエ方式とFF方式という二種類の物語表現形態があった。ドラクエ方式では、基本的に主人公はプレイヤー本人なのでしゃべらない。細かい設定なども特にされない。せいぜい「はい」か「いいえ」を選ぶくらいの意思表示しかしない。


これで物語をナラティブに表現するというのがドラクエの美学だが、逆に言うと、こうした物語はドラクエ並に作るのが難しい。
まだ発展途上の創作手法であり、ゲームでなければ表現できない。


もっと簡単なのはFF方式で、FFでは主人公には名前があり、台詞があり、人格がある。それはプレイヤー本人と完全に一緒ではないし、なんなら勝手に動く。
けれども、そのぶんストーリーは語りやすいし、従来の作劇法がそのまま使える。だからFFの初期はアニメの脚本家などがストーリーを書いていた(いまは知らない)。


ドラクエは堀井雄二大先生しか書けない。
大量生産に向いてないのだ。


VRにも同じ問題が起きるだろう。


もっともこれは、RPG以前のゲーム、かつてADV(アドベンチャーゲーム)と呼ばれていたジャンルでも既にここ見られていたことで、主人公がひたすら独り言を言いながら物語を語るタイプ(主人公=プレイヤーだが、主人公の内面を独り言として語ることでプレイヤーを主人公に一種の洗脳化する)のゲームと、スクウェアが開発したα(アルファ)というゲームのように、主人公を美少女にして、常に画面の中に主人公が映り込むようにする手法が産まれた。いまとなっては画面に主人公が映り込むのはドラクエ含めて当たり前の演出なのだが、当時は衝撃的だった。なぜならゲームの主役とはプレイヤー自身であるという大前提があり、その前提のもとでは、画面に主人公が映り込む幽体離脱敵な演出など言語道断だからだ。



しかし、α(アルファ)の場合、主人公を水着みたいな宇宙服を着た美少女に設定することで、むしろどちらかというとずっと画面を見てみたいという気分にさせることに成功し、うまく「ゲームプレイ」と「主人公」の分離に成功した。勝手な推測だが、この成功体験が後にファイナルファンタジーの作劇法に繋がるのではないかと思っている。



面白いことに、スクウェアがα(アルファ)というADVを作っているのと同じ頃、堀井雄二大先生も「オホーツクに消ゆ」という傑作ADVを開発している。見ればわかるが、「オホーツクに消ゆ」は完全主観ゲームで、主人公は独り言含めて一切しゃべらない。実はドラクエとFFが出る前に、既に堀井雄二的文体と坂口博信的文体の分離が起きているのだ。



さて、話をVRに戻そう。
今のVR、特に実写のVRはかなり熱い。


反対に絵のVRはまだ発展の途上にある。
どうしても、人形が動いているように見えてしまうのだ。
コレに関しては人工知能の研究をしている副産物として、何が問題なのか説明できるのだが長くなるのでここでは省く。



それにそもそもポリゴン人間と話すよりは生身の人間と話したほうが面白いじゃないか。


これからさきのVRエンターテインメント作品の作り方は二通りあるとかんがえられる。


要は、ドラクエ方式か、FF方式かだ。


FF方式のほうが物語がつくりやすいので、まずはそちらが出てくるだろう。しかしドラクエ方式のほうが没入感は圧倒的に高いので、最終的にはこちらが主流になるのではないか。


そのうち、ユーザーが自由に喋っても、生身の人間が受け答えしてくれるようなAIを開発できるようになるだろう。あ、それはもしかするとオレの仕事なのか。



たとえば、DeepFakeを使って、ポリゴンから人間の俳優/女優の顔に戻せるとする。
そしたら・・・やばい、いくらでも石原さとみとくだらない話をする会話ボットが作れるじゃん。え、欲しいんですけど。



ちなみにGoogleのVR180と書いたが、本当はDMMが何年も前から同様の技術を開発してコンテンツを作っている。
これも非常にチャレンジングな分野で、様々な実験と発明が行われているのだが、長文日記のコンプライアンス上、紹介することが難しい。
あとはお察しください。


PSVRがなくても、ハコスコみたいなので見れます。ぜひ二眼で見てください。衝撃を受けると思う。

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