THE長文日記

長文とか短文とかのクレームは一切受け付けません

ミネルバ大学の本を読んで眠れなくなった

あまりにも暑いのでプールに行った。


子供の頃はプールは日常的なものだったが、おとなになると非日常的なものになる。
たまにはいいものだ。


プールで火照った身体をさましながら、Kindleで買った本を読み、往年の傑作映画「マスク・オブ・ゾロ」を見ながらベッドに入ると、午前四時前に目がさめた。


妙にドキドキするので、これはどうしてだろうと考えると、やはり、僕はいま、とても興奮しているのではないかと感じた。


ミネルバ大学とは、ハーバードを始めとするアイビーリーグよりも優れた人材を育成するために設立された、全く新しいスーパーエリート教育学校である。


ミネルバ大学はキャンパスを持たず、学生は世界七都市を一定期間ごとに移動しながら共同生活を営む。


講義形式の授業は行われず、事前に3〜4時間かかる課題を出され、授業では80%をディスカッションに費やす反転教育が行われる。また、教授の発言は授業の10%以下と決められている。


キャンパスを持たないため、主に学生「だけ」が全世界を転々とし、教授は世界中に散らばった一流の研究者が全てオンラインで指導する。


普通に考えると、これでうまくいくのか不安になるが、どうも上手く行っているように見える。


合格率は2%以下。競争率はMITを凌ぐ


それでいて学費はMITの半分以下。日本の私立大学程度の学費で学ぶことができる。
ミネルバ大学の最初の卒業生は来年うまれる予定だ。


大学の真価は卒業生によって決まる。
ミネルバ大学の設立されたモチベーションとしては、アメリカのトップ大学の閉鎖性にある。
アイビーリーグは卒業生の師弟の合格率がそうでない人の2〜5倍程度高いそうだ。要は合格するかどうかに家柄が関係する。
その上、学費はべらぼうに高い。


かといって、たとえばハーバードが常に優秀な学生を生み出すことに成功しているとは限らない。
授業は一方的なものであり、教授たちは学生を育てることに情熱がなく、自分の研究機会を得るために弟子や学生に授業を任せている。
この状況を聞いて、耳が痛い大学の教員は少なくないのではないか。


僕が学部を四年間過ごした(そしてついに卒業しなかった)電通大の授業も、そのほとんどは全く、身につかない通りいっぺんの講義だった。大学は学生を教えることにモチベーションがほとんど全く無いということを知ったのはショックだった。


その後、28歳になってから履修生として通うことになった大学院の産学連携教育プログラムでは、授業らしい授業があまりなかった。


それぞれの科目を当代一流の先生方が教えてくれる貴重なものだったが、あまり押し付けられている感じはしなかった。


それどころか、自分の頭で考えること、授業外で授業に関して学ぶことが暗黙的に求められた。そうしなければ到底課題をクリアできない。与えられた課題も、創造性がなければ到底クリアできないものが多かった。今思えば、これは反転教育に近いアプローチだったのではないかと思う。少人数のグループにわけられ、それぞれ創意工夫と独自の調査や見解を発表することを求められた。


学部時代の授業で今も役立つと思えるものはひとつもなかったが、大学院の授業で無駄だったと思えるものはひとつもない。
不思議である。


すこし前、とある仕事を通じて、どうも妙に話が合う人と知り合った。何度か話をしたことはあったのだが、先日、大学院で同じプログラムを履修していた現役生だと知った。


ミネルバ大学が推進しているようなアクティブラーニングは、日本の大学やその他の教育現場でももっと取り入れたほうが良いと思った。そして今思えば、僕が通っていた大学院での授業は、アクティブラーニングがメインとなる講座だったのだろう。


ミネルバ大学には我々起業家、経営者、そして教育者が学ぶべきことがたくさんあるように思う。
学校の真価というのはすぐにはわからないものだが、注視していきたい。


世界のエリートが今一番入りたい大学ミネルバ

世界のエリートが今一番入りたい大学ミネルバ

推理ドラマとしての「やれたかも委員会」

ドラマ「やれたかも委員会」がやばい。


原作も十分面白いのだが、ドラマになって面白さが冴え渡っている。
孤独のグルメもかくや、というヒットコンテンツだ。


まず、白石麻衣がいい。
良すぎる。


原作では財団法人ミックステープ代表の月満子が鋭い推理を展開するのだが、白石麻衣演じる月綾子はさらに冷たい目線で「やれたかもしれない」エピソードを斬る。この斬り方が実に痛快である。


そもそもやれたかも委員会とはなにか、知らない人はいらないと思うが、万が一のため説明しておこう。


やれたかも委員会とは、もともとはcakesで連載されていた漫画作品である。
それがめっぽう面白いということで話題になり、単行本になり、ついにドラマになった。昨年AbemaTVで一度実写化されたあと、今年になって毎日放送(MBS)のドラマになった。


相談者が「あの日、頑張ればやれたのではないか」というエピソードを持ち込み、三人の委員による「やれたかも委員会」が「やれた」「やれたとはいえない」を判断する。


男性委員は比較的ハードルが低いのだが、紅一点の月綾子が毎回毎回、鋭い推理を発揮する。


漫画の場合は、月満子がズバッと斬って終わるのだが、ドラマでは、「やれたかも委員会」によるさらに突っ込んだ検証とシミュレーションが展開される。


これが秀逸である。
たとえば「男女逆だったらその話は成立するのか?」をシミュレーションしたり、「あそこで告白していれば?」をシミュレーションしたりする。まあたぶん、尺的にそういう話を盛り込まないと成立しないのかもしれないが。


しかもやたらホワイトボードが活用される。
こんなにホワイトボードが活用されるドラマって初めてじゃないだろうか。


ホワイトボード愛が強い小生としてはホワイトボードで図が書かれるだけでワクワクしてしまう。


ひとつの事象を検証して、なにげないものごとの裏側に隠されていた意図や真実を炙り出すという意味では、これは立派な推理モノである。


しかも、殺人事件に比べると非常に身近に起きそうなエピソードなので面白さは段違いだ。
もはややれたとかやれないとかもどうでもいい。


そもそも過去の恋愛なんだから救いはないのだが、救いのない相談者を全力で励ます能島譲(佐藤二郎)、相談者に共感しつつ自分もなにかありそうなオアシス(山田孝之)のバランスもいい。


原作だと、オアシスの立ち位置であるパラディソはあんまり存在意義が感じられないのだが、ドラマでは見事に三位一体のチームとして完成している。


これを見ないのは実に勿体無い。
まあでも、白石麻衣のスーツ姿がとてもいいというのが本質です。


TVドラマ「やれたかも委員会」15秒PR映像


綾瀬はるかのスーツ姿が素晴らしい義母と娘のブルースについてはまたこんど


やれたかも委員会 1巻

やれたかも委員会 1巻

鰻とかカツサンドとか

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どんなに頑張っても2時間は待たなければならないと評判の鰻屋に並んでみた。
ものすごく気合を入れないと並べないのだが、ものすごく疲れた。炎天下だったから。


こんなに並んだのは、宇都宮の餃天堂で三時間並んで以来だが、餃天堂のときは日陰だと凍えるほど寒くて、あったか〜い缶コーヒーを何度も買いに行ったが、暑いのはそれはそれできつい。


さて、肝心の鰻だが、こんなに並んで美味くないわけがない。
酒も凍結酒で、まあ超おいしかった。

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店の名前は、忘れてしまったが、まあググればでてくるだろう。


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最近、ほぼ毎日配信しているニコ生の収録場所の近くに、トンカツの名店「井泉」があり、井泉のカツサンドはほんとうに美味しいのでみなさんにもぜひ食べていただきたい。


まず、毎回できたてをくれる。
なのでホカホカ。


いつも冷たいカツサンドしか食べてないからこれがまず新鮮。

香りも立っていて、本当に美味しく食べれる。




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そういや俺の本が韓国語版になったという話で突然韓国語の本が届いた。
しかし読めない。


前のときはダサい英語(しかも意味不明)が表紙に書いてあって「これ英語としてめちゃくちゃなのでやめてください」と出版社に言ったら「もう量産してるんで無理です」と言われ、「なぜ原作者の許可をとらずに量産してるんだ、アホか」と思ってイライラしたものだが、今回はダサい英語がないので良しとする。



昨日は後藤と子供AIコースをやったあと、一杯飲みにいった。


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ゴトーが美味いというので神田駅前のゴローという店に行ってみた。たしかに美味いし安い。


ここんとこ毎日チキンを400gくらい食っていて、タンパク質も多いし筋肉もつくのだが、人として大事なものが欠けている、と感じていたので食生活は少し戻すことにする。いや、気が滅入るんだよ。なんでだか知らないけど。




それから丸の内のマジックバー十時に行った。
新米ウェイトレスの頃から知っているユウコが、今は立派なマジシャンになって次々と技を披露してくれた。


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つねづねAIの時代に次に重要なのは「真心と思いやり」であると言っているのだが、トランプのカードが出てきたと思ったら自分の変えたばかりの写真がカードになっていてビックリした。


「ストーカーかよ!!」と言ったけど、やはりこれがホスピタリティというやつなのかもしれない。


こういう、単に奇をてらうのではなく、真のおもてなし、相手の心を掴む、意図的に相手を驚かす、といったことはまだまだ人間でないとできない領域で、たぶん今の世代のAIが完成に近いかたちになったとしても、マジシャンという職業は残るだろう。


ユウコは、始めはすごく拙くて、でもあるときすごくうまくなって、それから、気がつくとあっという間にトップクラスのマジシャンになっていた。人って凄い。


人工知能が育つのを毎日見ているけれども、こんなふうに感動するほど凄くなるまで、我々人間は待つことはできない。


悲しいかな、人工知能は目下のところ、生まれつきの才能だけで解けるほど簡単な問題か、全く見込みのない問題しか学習する機会が与えられない。


それは主に人間側の問題である。
人工知能の性能の上限というのは、それを作り育てる人間の想像力で決まる。


他の職業の誰よりも想像力豊かでなければ、より良く賢い人工知能を作ることは不可能なのだ。


そのためには引き出しが大事だ。引き出しをいくつ持っているかということが大事で、その意味では最近、仕事にかまけすぎていて刺激が不足している感は否めない


・・・とここまで書いて、北海道横断しながら駅弁食ったのって何年前だったっけ?と思うと今年の3月であり、それはつまりたかだか4ヶ月前のことなので、その間にどれほどのことがあったのか思い出すと非常に濃い人生を送ってきた気がする。


ゴトーが来て10年くらい経った感覚だが、よく考えるとゴトーは4年くらいしか経ってないはずだし、ユウコとも10年くらい前から知ってた気がするが5年くらい前に知り合っただけであった。


年をとると体感時間が短くなるというが、俺の場合、特に最近は体感時間が長くなっている気がする。一週間は行き着く暇もなく過ぎていくが、一ヶ月は異様に長く感じる。


「早く夏休みが来ないかなあ」と毎日思っていた子供の頃のようだ。



なにが俺にそうさせるんだろうと考えると、たぶん読んでいる本の量とか見てる映画の量とかが子供の頃よりも多くなっていることに原因がある。


週末はNetflixを見て、夜もNetflixを見て、朝もAmazonプライムを見て、通勤中にKindleを見て、みたいな生活を繰り返していると、あまりにも摂取する情報が多い。あと、やっぱりAI関連の論文や研究の発表されるペースが異常に早く、面白そうな論文をサーベイしているとあっという間に時間が過ぎてしまう。


そのくせ、ディープラーニングというやつは、走らせてから結果らしきものが出るまでにそれなりの時間を要するので、いくら僕でも無限に計算をやる、やらせるというわけにもいかない。


最近、12時間で出版するマッハ新書というのをGOROmanさんがやってるというのを聞き、「それはそれで面白そうだなあ」と思った。そもそも僕は本を書く時12時間くらいで一気にやることが多いので、どちらかというと書いた後で編集部とやりとりしたり、装丁ができたりといった時間のほうが長い。


でもたぶんそんなことをすると、人生をもっと長く感じてしまうのではないか。


太く短く、と人は言う。
しかし太いってなんだろうな。


中身が充実してるんなら、細く長くてもいいんじゃないの
ほっといても医学はどんどん進歩するから、やっぱり楽しいことに集中して生きていたい。

なにこれ?超面白いんですけど:憂国のモリアーティ

 新しい漫画に触れるというのは、ひとつの人生を増やすようなものでもある。
 先月のAmazonへの支払いが大台を突破してしまい、改めて本という沼に震撼した。いやマジで沼


 「憂国のモリアーティが面白いよ」と聞いて、「へー」と思っていたのだが、どうやら本格的に面白そうなので読んでみた。一気に六巻まで。やばい。面白い。


憂国のモリアーティ 1 (ジャンプコミックス)

憂国のモリアーティ 1 (ジャンプコミックス)


 何を書いてもネタバレになってしまうのだが、ぜひ読んでほしいと思うので多少のネタバレをしてしまうが、まず、そもそもモリアーティというのが誰なのかわからん、という人でもたぶん面白いんじゃないか。


 そしてモリアーティが誰なのか知ってる人にとってはより面白いのではないか。


 まあ知ってる人は当然知っていることなのでモリアーティが誰かと言えば、永遠の名探偵、シャーロック・ホームズの好敵手であるジェームズ・モリアーティ教授である。



 だが、本作ではジェームズ・モリアーティは三人登場する。しかも全員が美青年である。
 真の貴族、アルバート・ジェームズ・モリアーティと、孤児であったが天才的な頭脳を持ち、アルバートの両親を殺し、二十歳で数学教授になるウィリアム・ジェームズ・モリアーティ、そして彼の弟であるルイス・ジェームズ・モリアーティ。


 そもそもジェームズ・モリアーティが三人いるとして、ファーストネームではなくミドルネームが変化する方が正当な気がする(ファーストネームとラストネームは特別なので省略されない)。本当ならジェームズ・アルバート・モリアーティとジェームズ・ウィリアム・モリアーティとジェームズ・ルイス・モリアーティであるべきだが、そこは取材力が不足していたのか別の理由があるのかわからん。しかしまあ面白いからいい。


 そしてモリアーティ教授が登場するからには、もちろん好敵手のシャーロック・ホームズとジョン・H・ワトソン医師も登場する。コナン・ドイル本人も出てくる。


 シャーロックの兄であるマイクロフト・ホームズは政府関係者であることは公式設定だが、本作ではマイクロフトは英国陸軍秘密情報部第六課の設立をアルバート・J・モリアーティに許可する。


 MI6(軍事情報部第六課)は「存在しない課」と言われ、当然、これは007ことジェームズ・ボンドの所属する国際諜報組織なのだが、アルバートは本名を秘し、「M」と名乗る(モリアーティだから)。彼の秘書は、もちろん「ミス・マネーペニー」だ。


 そして第六巻でついにMI6に所属する「殺しのライセンス」を持つ「七番目の男」が登場する。これで興奮しない人は読まなくてよろしい。


 もはやシャーロック・ホームズ関係ない。


 ぜひとも実際にMI6に所属していて、ジェームズ・ボンドシリーズを書いたイアン・フレミングや、エニグマ暗号解読のために史上初のデジタルコンピュータを開発したアラン・チューリングも出してほしい。いや、ここまで英国愛があればぜったいに出てくるはずだ、と思いつつ、とにかく面白いからみんな読んでほしい。


 久しぶりにゾクゾクするような漫画が出てきた。ぜひ続いてほしい。

サッカーが好きだ

さて、サッカー部である。
もはや高校の同級生も忘れかかっているが、間違いなくサッカー部であった。


サッカーのなにが凄いか、前にもどこかに書いたかもしれないが、ワールドカップをみて思うところがあったので書いてみようと思う。


まず、サッカーの基礎的な話。

サッカーの基本ルールは驚くほど簡単である。
ボールを蹴り、相手のゴールに入れる。手を使ってはいけない。

各チーム一人だけゴールキーパーが居て、彼らはペナルティエリア内ではボールを手で触ることができる。

枠線からはみ出たら、最後に触った人の反対のチームがボールを投げ入れ(スローイン)たり、コーナーからキックしたり、ゴールからキックしたりできる。

基本的にはこれしかない。
たぶん野球よりも遥かに簡単だ。


あまり複雑なことを考えるのが得意ではなさそうに見えるアメリカ人の遊ぶアメリカンフットボールはこれより遥かに複雑怪奇で、なぜフットボールという名前になったのか疑問が残るほどだ。


日本でサッカーブームが巻き怒ったのは、まさしく僕が高校生の頃。Jリーグが立ち上がった頃だ。


それまでテレビで夜みるスポーツといえば野球しかなかった。
なぜ野球が日本でこれほどまでに愛されるスポーツになったのかといえば、テレビの影響が大きいのではないかと思う。


野球の場合、常にバッターとピッチャーの対決が繰り返される。
バッターの顔が大写しになり、ピッチャーの顔が大写しになる。背中越しにバッターとピッチャーの対決を見る、というのが、武蔵と小次郎の巌流島の決闘のような緊張感を手軽に演出する。


野球中継において、ボールの位置というのはよく見えなくても問題ない。
何度も繰り返し見ているとボールの跳ね返り方によってそれがヒット性のある当たりかどうか判別できるようになるが、それは本質的に大事なことではない。


これに比べるとルールが遥かに簡単なはずのサッカーがイマイチ下火だったのは、まず、誰と誰が戦っているのか画面からではよくわからないからだ。


さらにいえば、ボールをちゃんと追いかけないと何が起きているのか見落としてしまう。
テレビが小さい時代というのは、ボールなんか見えないから、野球が良かったのだ。


テレビの大画面化とサッカーの流行は微妙にシンクロしている。
大画面テレビや高精細テレビを買う主な理由として、サッカーの背番号だったりボールだったりを正確に判別したい、というモチベーションがある。


野球において重要なのは基本となる技だ。ピッチング、バッティング、送球、キャッチ、それらを反復して学ぶが、基本的に主役は常にピッチャーとバッターである。


ピッチャーになれる人は数少ないが、バッターは誰もがなれるので誰でも一度は注目されるチャンスがあるという点で野球は平等な競技である。


しかし究極、どうしても個人技の戦いになってしまう。


「チームワーク」とはいうが、野球で実際に「チームプレイ」が活躍する場面は極端に少ない。ダブルプレーやスクイズ、みたいな連携があるときくらいだろう。あとは人情である。まあこの人情もまた魅力があるわけだが。



サッカーの場合どうかというと、ドリブル、パス、トラップ、シュートという個人技はもちろん重要なのだが、それ以上に一瞬のチームプレイがいくつも積み重なることでしか得点できない。


たとえばオフサイドという(サッカーの中ではもっとも難しい)ルールが設けられているのは、まさにこの「チームプレイこそがサッカー」ということを地で行く。


バスケットボールにオフサイドのルールがあったら、たぶんゲームにならないだろう。
コートが狭いし、より危険だ。


でもサッカーにはオフサイドがある。それだけの土地の余裕があるし、かならずパスを出すときに相手の防衛ラインを超えて待機してはいけないというオフサイドのルールがあることでドラマを生むからだ。


本田がシュートを決めたとき、「やはり本田は持ってる」という言葉で褒められることには違和感がある。これはハンカチ王子が(運を)持ってるという話とは根本的に違うからだ。


野球よりもバスケよりもサッカーは頭を使うスポーツである。しかも選手個々人が頭を使ってポジショニングをしなければならない。自分の体力、走力、キープ力、突破力、そういうものを客観的に考えながら、味方の意図を読み取り、パスを回し、シュートに繋げなければいけない。


野球の「持ってる」というのは、基本的にほとんど完全に偶然だが、サッカーの「持ってる」は完全に個人の能力の賜物であると思う。


安全にパスを貰える位置に自分を置く、確実にシュートにつなげられる位置に走り込める。これは個人の能力であって運ではない。運だけで勝てるほど甘くない。本当に完全に運だといい切れるのは相手のオウンゴールくらいだ。


サッカーは好きだがサッカーゲームはイマイチ好きになれない。
いくつも遊んだが、あれはサッカーの本質を突いてない。多くの人にとってサッカーが、ボール中心のゲームに思われる原因になっていそうで実につまらん。パスをいかにもらうか、いかに美味しい位置に飛び込むか、ということがサッカーという競技の面白さの本質だと思う。


そういうマインドがなければ、いわゆるスーパープレイも成立しないわけで、サッカーゲームでセンタリング(クロス)を上げると、ちょうどい位置に味方がいて嫌になる。いや、そうしないとゲームになんないんだけどさ。


実際のサッカーのチームプレイというのは、本当にチームメイトと一種のテレパシーのようなもので接続されないと到底ムリである。


真後ろから飛んでくるパス。
真正面の相手が背中を向けたままこちらにスルーしてくるパス。


普段どんなに喧嘩していても、いがみあっていても、女をとりあっていても、ピッチの上では仲間として全幅の信頼を置いてパスを出し、すがるような思いでつないでいく。


トラップして、もたもた考えているとすぐに敵に囲まれる。苦し紛れにパスを出す。敵から逃れる。まるでそれがわかっていたかのように、そこに戻ってくるパス。それをさらに前方へ、オフサイドにならないことを確認してセンタリング。少し高めのボールを走り込んだ仲間がヘディングでシュートッ!!・・・キーパーがパンチング!・・・さらにボールの動きを読んで後方へ走る。同じことを考えていた敵MFと目が合う。負けない、ジャンプ、ヘディング、けど咄嗟のことでコントロールを失う。


こういうのはコンピュータにやらせたほうがマシなのである。


ロボカップというコンテストがあって、僕が大学生の頃に始まった。ロボットによるサッカーの世界大会だ。


これの進化の歴史とかを振り返ると実に面白い。



RoboCup 1997 Soccer Simulation Final


これは20年ほど前のロボカップのシミュレーションリーグ
この段階ではディープラーニングは出現していないのでまだ使われていない。ごくヒューリスティックな方法で実装されたロボット同士のサッカーである。


このシミュレーション自体も、ノイズを含んだ情報のやり取りがベースになっていて、めちゃくちゃ難しい。しかしちゃんとパスが通じているし、見どころもある。



RoboCup 2017 Soccer Simulation 2D Final


これが昨年のロボカップシミュレーションリーグの決勝。
めちゃくちゃ複雑なサッカーを展開していることがわかる。


シミュレーションだけでなくていろいろなリーグがあるが、見どころが多いと思ったのはこれ



RoboCup 2017 Final ER-Force vs. SRC


ロボカップ小型ロボットリーグは6台ずつ12台のロボットが実際に戦うリーグだ。
このリーグは上から見下ろすカメラの情報を使っても良いことになっている(だからマーカーが上部に刻印されている)。


そのおかげか、非常にサッカーらしい連携プレーやロングパス、ロングシュートが多く見られる。


ロボットの機構もさることながら、やはり頭脳で勝負するというのが実に面白そうだ。


というわけで、せっかく学校をやっているんだから、ロボカップへの出場を目指してチームを作ってみることにした。題して電脳サッカー部。まず第一の目標は来年のジャパンオープンへの出場である。出てみなければわからない。いやしかし本当にロボットを作るのか、それともシミュレーションでいくのか(それはそれで難しそうだ)、生徒さんたちと相談しながらやってみたい。


サッカーはやっぱりワクワクする

ラ・ラ・ランドを振り返る

 なぜか好きじゃないはずなのにラ・ラ・ランドのブルーレイを買ってしまって、ずっと開封していなかったのだが、やはり気になってまた見てしまった。もちろん一人で。鶏胸肉食いながら。これが男の休日だ。


 女子ウケ100%映画なのでいまさら内容について説明はいらないだろうが、やはり仕事を得たセブをミアがなじって言い合いになるシーンが心に刺さる。


 まあなんせ映画館で一回みただけで筋書きを全部覚えてしまうような強烈な映画だったので、見るのが人生で二回目にも関わらず、一回目では感情を揺さぶられすぎて見落としていた点が心に染みてきた。


 ミアの元彼は金持ちである。たしか弁護士で、その家族も上流階級の匂いをさせている。ミア自身もウェイトレスには分不相応なプリウスに乗っている(ハリウッドではプリウスがセレブに大流行した)。


 いっぽうセブは、ボロボロの車に乗って、レストランのピアノ演奏で糊口をしのいでいるような頑固者だ。


 本来、とても釣り合いがとれない。
 

 ミアが母親に心配させまいと「彼氏は金持ちじゃないけど貯金していてお店を出すつもりだから」と電話で嘘をつく。それを聞いてしまったセブは、この生活から抜け出すためにクラシック・ジャズに拘る自分のポリシーを曲げて、前衛的なジャズ・バンドのピアニストとして活躍する。


 セブはこれでちょっとした金も名声も得た。しかしツアーで全米を回るので二人は出会えない。やっと会えたと思ったら、ミアは「あなたはあんな音楽がやりたかったの?」とセブをなじる。


 ここが染みる。つらいのだ。


 「おれのジャズバーなんか絶対にうまくいくわけない」


 「あなたほどジャズを愛する人が作る店が成功しないわけがない」
 

 ミアは無責任である。セブにはそもそもその金がないのだ。だから自分の趣味にあわなくても、前衛的なジャズバンドの仕事を選んだのだ。やっと掴みかけた成功に、ミアが水を差しているように思えて、セブはつい言ってはいけないことを言ってしまう。


 「おれを見下していれば安心できるから付き合ったんだろう」


 もちろん本心ではない。
 でもこの自虐は二人の間に決定的なミゾを作ってしまう。


 その後、ミアは大逆転し、セレブの仲間入りをする。


 ロスに残ったセブは、念願のクラシック・ジャズを中心としたジャズバーを成功させる。
 偶然その店にたどり着いたミアは、そこが自分がセブに提案した名前の店であり、セブがささやかな成功をおさめたことを知る。もし、あの頃、なにもかも全てうまく行っていたら、という想像がミアの胸に去来する。


 ここが今作のクライマックスなのであるが、おそろしく虚しい。
 そんなことを今から想像してもまったく無意味なのだ。ミアはどこかの金持ちと結婚し、子供がいて、成功者として知られている。セブはささやかなバーの経営者として成功している。


 セブとミア、両方の夢が実現したのに、二人の恋は実らないという虚しさ。
 この虚無感が、今作最大のテーマだろう。


 この作品が若い女性にバカウケしていた、という事実はいろいろと考えさせられる。
 ミュージカルとしてはもちろん楽しいし、画面は美しい。


 目が大きく手足が細く長いミアはまさに女性の理想像そのものなのかもしれない。貧しいが長身でやさしげなセブも、典型的な王子様像とは異なるが、身近に感じられる好青年である。


 映画の結末で、ミアは人のうらやむあらゆるものを手に入れる。地位と名声、リッチな旦那とかわいい子供。そして大きな家。一方、セブが手に入れたものは、画面の中からわかる情報は、ささやかなジャズバーの成功だけだ。


 この映画があざといと思うのは、男からみるとセブが手に入れたものはミアに比べてあまりにも少なすぎるように思えるところだ。


 これが男目線では悔しいので僕は初見で拒絶反応を感じたのだが、女性にしてみれば、仮にそれが本当のことであったとしてもその時点のセブに若くて綺麗な彼女がいたりとか、セブの車がボロボロのオープンカーからフェラーリに変わったりだとか、たぶんそういうところは見たくない。元カノのミアにとってはどうでもいいことだ。


 敢えて描写しないことで、純粋な「夢の実現」に注目させたかったのだろう。


 敢えて、おれはセブはあのジャズバーの成功の裏側で、男の欲しがるものを全て手に入れたのだと妄想しようと思ったが、それはそれでかなり無理があるし、やはりそれは好ましく感じられないので、やはりセブは出家した僧侶のように、彼女がいないままジャズバーを経営し、いまだボロボロのオープンカーに乗って、しみったれた安アパートに住んでいるのが良いのかもしれない。


 しかしなんだろうな。男の欲望のままに成功すると映画の中ではたいていの人はろくでなしになる。実際のハリウッドセレブがやるような生活を手に入れる映画の主人公はほとんど居ない。


 インディ・ジョーンズはいくら財宝を発見してもしがない大学教授のままであり、古畑任三郎はいつまでも警部補であり、イーサン・ハントはいくら不可能な作戦を実行したとしても階級が上がっている感じはしない。映画の中にたまに成功した人間が出てくると思うとだいたい悪役である。バック・トゥ・ザ・フューチャー2のビフ・タネンとか、マトリックス・リローデッドのメロビンジアンとか。


 結局、男はささやかな成功を収めたとしてもボロボロのオープンカーに乗って、しみったれた安アパートで暮らすしかないのだろうか。


 休日の夜にワンルームの部屋でそんなことしか考えることがないんだから、おれもたいがいしみったれてる。


 ドラマ「半沢直樹」のにイマイチ悲壮感がないのは、やっぱりどんなにドン底にいるように見えても、家に帰ったら上戸彩がいるという状況だろうな。もういいじゃん。上戸彩だけで。いいよ大和田とかどうでも。


 せめて、せめてセブには可愛い彼女が居て欲しい。でも居たら居たで女子勢のブーイング待ったなしだろうな。つらい。セブに幸あれ

enchantMOON発売から今日で5周年。この五年で起きたことを振り返る

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なんで七夕に設定しちゃったんだろう。


もともと記念日を覚えるのが苦手なので忘れないという意味では悪くないのだが、毎年七夕が来ると思いだしてしまう。
あの地獄のような日々からもう五年が経った。


本当は6月中に発売したかったんだけど、中国で製造がようやく始まったと思って帰国したら、ソフトが初回起動で必ずハングアップするみたいな状態で、これは絶対に間に合わないから7月7日出荷にしようと決断したのだった。


中国からリモートでソフトウェア開発を管理するというのはほとんど不可能に近かった。これは僕の見通しが甘かったのだ。


あれから現在に至るまで、同規模の、つまりOSからUIからプログラミング言語からオーサリング環境までまるごと全部作る、みたいなプロジェクトは大企業のものも含めてまだ聞いたことがないから、やはり挑戦としてはかなりクレイジーなものだったのだろう。まあいいのだ。クレイジーなことがしたかったんだから。


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きっかけは震災だった。
2011年の震災を僕はオースティンで経験した。


もし自分が被災地の子供だったら、コンピュータに触れることが出来ない日々は辛いだろうと思ったのがきっかけだった。
結果的に被災地支援そのものには間に合わなかったが、プログラミングが好きなこどものための機械を作ろうという発想はそのときからあった。


最初は小さいネットブックのようなものにLinuxと簡単な開発環境を入れたものを販売しようと思っていたのだが、当時は「簡単な開発環境」そのものがなかった。


その頃、ほとんど偶然の産物として、enchant.jsが出来上がり、競うための場所としての9leapが出来上がった。


この2つを軸にしてプログラミングの楽しさを広めていこうというプロジェクトを開始した。


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それとは並行して、手書きについての思いがずっと残っていた。これに関しても、子供の頃から疑問だった。なぜ自分はキーボードをこんなにも早く打てるのに、手書きでなければ考えられないことがあるのかと。


コンピュータは人間の知的作業を補佐する存在であるはずなのに、紙とペンの方がはるかに有用なタイミングというのは多々あった。コンピュータの利便性と手書きの利便性を融合することはできないか、そんなことを考えていた。


究極の形は、手書きでプログラミングすることである。
しかし手書きでプログラミングする言語なんか存在しない。作るしかないのだ。


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手書き端末のデザインが上がってきた時、あふれるオーパーツ感に衝撃を受けた。
こんなもの、本当に作れるんだろうか。

素人の自分が見ても、ハンドルはやりすぎという気がする。明らかに製造工程で足かせになりそうだ。


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デザインを担当した安倍吉俊さんは、ハンドルに並々ならぬ拘りがあるらしかった。
じゃあとりあえずやりもせずに出来ないという話もできないから、やってみるか、ということで開始した。


案の定、ハンドルは大量生産で大きな足かせになってしまったのだが・・・


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坂井直樹先生に紹介していただいた会社に依頼して作ったモックアップは、なかなかの出来栄えだった。しかし常にハンドルが問題になった。
ペンはハンドルに格納できるはずだったが、機構上どうしても無理ということで諦めざるを得なかった。



会社の技術力をPRするための広告宣伝費として1億使う。利益が出たら御の字。
それでクライアントがついたら、儲けもの、くらいの気持ちで取締役会を通した。


さて、しかし果たしてこんなもの売れるんだろうか。
1000台売って損しない、というのがもともとの目論見だった。


1000台売る自信がなかった僕は、映画監督の樋口真嗣さんと、哲学者の東浩紀さんの協力を経て短編映画を作ることにした。
この二人のファンにとりあえず知ってもらえれば、まあ500台くらいは売れるんじゃないか、と思った。この読みが甘すぎたのだが


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東さんが「素晴らしい新世界(Brave New World)」をベースにしたアイデアを出し、樋口さんがその場でスケッチを起こした。これをもとに女を撮らせたら日本一と言われる湯浅監督が素晴らしい短編映画を作ってくれた。


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この映像の反響がすごすぎた。
樋口さんと東さんのネームバリューを見誤っていたのかもしれない。
たった500万円の予算で、凄すぎる映像になってしまった。


そもそもこれを発表する場所を作るために東さんとゲンロンカフェというお店をスタートした。会社としてのゲンロンカフェは今も大盛況で、年間数千万後半の売上があり、黒字を出している。これはひとえに東さんの力によるものだ。


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ゲンロンカフェで開催した記者会見や発表会も人が来すぎてわけわからんことになっていた。
われわれ秋葉原近辺に生息する単なるクソオタの集まりにしては、世間の注目度が高すぎた。

フタを開けると、予約開始1時間で1000台以上、24時間で4000台近いオーダーが来てしまった。
僕は軽く「売上も予想の4倍になって利益も出せそうだなあ」くらいしか考えていなかったのだが、製造担当の社員は顔を青くしていた。
そんなに作れないのだ。


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今ならわかる。なぜ、AIBOが完全予約生産なのか。抽選制でないと買えないのか。特殊な部品を使う機械は、そもそも部品の点数を確保するだけで大変なのである。


だから確実に売れる数だけをまず売る、ということがなによりも大事で、それ以上の注文をとってはいけないのである。


要は僕らがちょっとばかし派手にやりすぎた。


待てど暮らせど生産が始まらないことに業を煮やした僕は、ソフト開発は現場にまかせて単身中国に乗り込み、製造が開始されて最初のロットが出荷されるまで日本に帰らないという決意で居座ることにした。


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このとき強力な味方になってくれたのは、チェリーさんである。
彼女なくしてenchantMOONの出荷はあり得なかっただろう。
チェリーさんは今もUEIのスタッフとして中国で働いてくれている。


ところが製造が始まったら、今度はタッチパネルが動かねえのである。ドライバの不良とやらで、まったく動かない。


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ほかにもまあトラブルを数えたら両手の指では足りないくらいだったが、この頃の僕は毎日「よく鬱にならないなあ」と自分で感心するほどタフだった。


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4末に中国に乗り込んで、やっとこ製造のようなものが開始されたのは6月に入ってからだった。


6末頃にようやく最初のロットができあがって、それをハンドキャリーで東京に持ち帰った。
ところがソフトがボロボロだった。


みんなが連日の激務で疲れているので、もはやなにを品質管理の基準にすべきかという基本的な合意がとれてなかった。
要は僕の指示が悪かったわけで、この時ほど自分の力のなさに絶望したことはなかった。


それでも鬱にならなかったので、たぶん僕は一生鬱病にはならないのではないかと思う。人生のドン底であった。


どうしても6月中に発売したかったが、このクオリティではモルフィーワン以下になってしまうと思ったので苦渋の決断で7月7日に延期した。それで一週間ちょい稼げる。その間に最低限のところまで機能を下げようと考えたのだ。とりあえずチュートリアルを削除して、動かない機能はどんどんオミットしていってある程度は安定する状態にもっていった。


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まあしかしどうしてもやっつけなので基本性能が低くなる。動作が重い。書き味のところばかりこだわったので全体の動作の最適化についてはあまりケアできてなかった。


今思えば、ネットの声にいちいちヲタヲタせずにガッツリ二ヶ月くらい発売を延期していればよかった気もする(どうせ7月7日に出荷できるぶんというのは数十台だったわけで)。


しかしこのときばかりは自分も鬱病にならないだけで精一杯で、24時間ずっとパニクってるような状態だった。


それでもかなり速いペースでバージョンアップを重ねていき、ある程度安定しきったところで一旦アップデートをお休みし、書き味以外の動作を最適化してS-IIとして配布した。


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同時に、これが一体全体どんなことに使えるのか知るために、いろいろな場所でいろいろな人に使ってもらう実験を繰り返した。アラン・ケイも小学生や中学生にAltoを使わせてチューニングしていったのだと言っていた。


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最初の端末による実験は3年くらいやった。


さて、ここまでがこれまでオフィシャルに語られてきた「発売からSIIまで」のストーリーである。
聞き飽きたという人も少なくないだろう。


僕らは発売から五年、別に眠っていたわけではない。
「次」にむけてどうするか日々奮闘していたのであり、今もまだその途上にあるのである。


enchantMOONは広告宣伝費として開発予算が承認された。とはいえ売上高12億円程度の会社の1億の現金というのは、途方もない予算である。
広告業界としては電通という会社と長年付き合っている。彼らの発想や考え方を僕はとてもリスペクトしている(働きすぎなのはよくないとして)。
彼らはよく、広告を「コミュニケーション」という文脈で語る。広告とは、広告主と顧客とのコミュニケーションの方法の提供であり、その究極の目的は理想的な顧客が理想的な広告主(またはその商品)に出会う、エンゲージメントであるという。


そしてこのenchnatMOONに投じた1億は、とんでもない出会いを生むことになる。


このプロジェクトを通して知り合った最初の人は、ジャーナリストの西田宗千佳さんだ。
彼の活躍は遠くからはもちろん知っていたが、映像を作る前に出したごくシンプルなプレスリリース、「映画監督と哲学者を招聘してハードウェアをつくる」という暗号めいたものを瞬時に読み解いてコンタクトをくれた。


西田さんはその後の短編映画の撮影にも同行し、スモークを炊く係までやってくれている。


次の出会いは、津田塾大学の阿部先生の紹介で出会うことになった、アラン・ケイさんである。アラン・ケイさん、という呼び方で失礼にならないのかどうか心配になるほど、伝説上の人物であり、僕の人格形成に大きな影響を与えた人でもある。個人的には、これだけで1億の価値があるようにさえ思えた。


その次の出会い、そしてenchantMOONを通じて最大の出会いは、北野宏明さんである。彼はあの短編映画を見て僕が何をしようとしているのかピンと来て、すぐに連絡をいただいた。僕としては、学生の頃から知っている大人物に突然声をかけられて大きな戸惑いを隠せなかった。彼がサラリーマンの頃に提唱したロボカップの論文を、僕は学生時代に恋人から渡されて読んでいたし、世の中にはこんなに狂った人がいるのだと感動したものだ。


その北野さんが会いたいとまで言ってくださって、製造で中国にいるなか、代官山のイベントのため一日だけ帰国した土曜日に、わざわざ代官山までやってきてくださった。


開口一番「クレイジーだよね」と言われたのが印象的だった。
そうか、僕がやっていることはクレイジーなのか。北野さんがそう言うならそうなんだろう。なんせ僕にしてみれば、2050年までに人間のワールドカップ優勝チームに勝てるロボットチームを作るという目標の方がよほどクレイジーに思えたからだ。少なくとも1997年頃は。


それから北野さんは「手書きやるならディープラーニングやろうよ」とすぐさま言った。2013年の春の話である。


「ディープラーニングってなんですか?」


「ニューラルネットだよ。今また面白いことになってんだよ」


ニューラルネットは個人的に好きで定期的に書いているプログラムの一つだった。
しかしこれが再び注目される日がこんなに早くやってくるとは、僕には予想だにできなかった。
しかし実際この出会いが、僕たちの人生を大きく変えていく一言になったのである。


enchantMOONを通じて、MITの石井裕先生にもお会いすることができた。石井先生もまた「クレイジーだねえ」と言った。


僕はコンピュータ起業家の本道を歩んでいるつもりなのだが、どうも誰から見てもクレイジーに見えるらしい。
石井先生のラディカルアトムも、僕からみれば十分クレイジーなのだが。


さて、北野さんが「やろうよ」と言ってから、実際に共同研究が始まった。とはいっても、最初からディープラーニングに手を出すわけではなかった。新卒で入ってきたスタッフがたまたま趣味で機械学習をやっていたので、彼を中心に機械学習系の技術と手書きの組み合わせについても模索することになっただけだ。


いざやってみると面白い成果が次々と出てきて、enchantMOONがディープラーニングと融合していくのはむしろ必然であるように思えた。


もしこれから新しい端末を作るとしたら、飛び道具的にアニメーターやイラストレーターに頼るのではなく、本物のプロダクトデザイナーを招聘しなければならないと思った。


誰が一番いいだろうと考えた時、たとえば1億人に使われるような機械をデザインするとして、それをやった経験がある人がいればそれにこしたことはない。そこで僕は後藤禎祐さんにお願いしてみようと考えた。



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後藤さんはenchantMOONを知っていて、「自分ならハンドルに関してもっといいアイデアがある」と豪語した。
後藤さんとは一発で息があった。


まるでずっと昔から運命で決められていたかのように、後藤さんとはすぐに打ち解けた。
後藤さんの語り口には樋口さんも感銘を受けていたようで、忙しい合間の中でも後藤さんの出る会議には樋口さんもよく出席していた。


そして事実、ハンドルに関してはびっくりするようなアイデアを持っていた。
天才は存在する、と思った。


ソフトウェアの方はAndroidをやめLinuxで実装することにした。


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完全なコンパウンドドキュメントで、それぞれのモジュールがドキュメントに埋め込まれながらも独立したプログラムをもって動くようになっていた。
OpenDocやOLE、ActiveXがやろうとしていたことを全て実現できた。


さらに各モジュールやコンポーネントはJavaScriptで記述でき、動的に変化する形のモジュールも実現できていた。



後藤さんはこれに「MEME」と名付けて商品化しようとしたが、後藤さんがもったいぶってる間に他の会社に商標をとられてしまい、商品化はできなくなってしまった。


このコンセプトを商品化するべきかどうかで揉めに揉め、結局、これは商品化しないという決断を僕が下した。
無理やり商品化しようと思えばできたかもしれない。しかし、これを商品化するということは、在庫を抱え、バージョンアップを繰り返し、きめ細かなお客様対応を続けるということだ。商品化まではできたとしても、その後のロジスティクスにはとても手が回らないだろうということを考えると、我々が今やるべきことはもっと別にある。


そもそも今からタブレット端末を販売して、ここまで価格が下がってペンまで対応したiPadに対抗できたとはとても思えない。
ただでさえタブレットの需要は先細りと言われているのに。


我々はenchantMOONに起源を持つ技術で、世の中をAI化していく。たとえばシグマクシスと展開しているディープシグマDPAは、まさしくenchantMOONが得意としていたフリースタイルの文字認識に起源があり、実際に実用として文字読み取りに使われている。


その他にも、まだ公表はできないが、我々がenchantMOONの延長上として研究・開発してきた技術が次々と様々な分野に広まりつつある。
我々の当初の目標はこうした技術のエンドユーザーを1億人にすることだ。この目標はおそらく達成されるだろう。そのために僕はUEIの社長を辞するという条件でちょうど一年前にギリアという会社を作り、代表取締役社長に就任した。


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ギリアという会社名も後藤さんがつけたものである。
GHEは地球規模の人間拡張(ヒューマンオーグメンテーション)であり、LIAは「場」を意味する言葉だ。そのうえ三音節なのに.comがあいてるという奇跡のような名前だった。


enchantMOONを予約したんです、という人は意外にお客さんに多い。
先日知ったのだが、ディープラーニング関連でもう二年以上もお付き合いいただいているパートナー企業の方が、実はenchantMOONを予約していたが、あまりに届かないのでキャンセルしたという話を聞いて驚いた(その人は電脳空間カウボーイズZZには契約しているそうだ)。


enchantMOONユーザーからUEIに転職してきた人も何人かいる。


たぶん僕らが思ってもないところでいろいろな人に僕たちというクレイジーな連中がいるということをenchantMOONは知らしめてくれたんだろう。


ギリアは大きく2つの事業を展開する。HE事業とCS事業だ。


HE(ヒューマンオーグメンテーション)事業はさまざまな産業分野の既存の業務をどんどんAI化していく。普通の人の目に見えないところで、大量に、しかも確実にAI化を浸透させていくことを目的としている。これが当面の事業の柱になるはずだ。


CS(コンシューマサービス)事業は、予算規模の小さい会社や、個人といった人々を対象として、AIの裾野を広げる活動を行う。UEIの既存事業やUEIエデュケーションズなどはCS事業の管轄に入る。


そして我々は、全く新しい製品を企画している。
AIをもっと身近に、もっと作りやすく、もっと使いやすくすることで、誰もがAIの恩恵を受けられるような製品開発を目指して日々研究を重ねている。


今の我々があるのは、enchantMOONを予約してくださった人、購入してくださった人、ブログやTwitterで言及してくださった人、使ってくださった人、開発に関わって下さった人、その他UEIに関係してくださったすべての人々のご協力と愛あっての賜物です。


みなさん、ありがとうございました。
そして、どうかギリアが開く未来にご期待下さい。